第3話

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「おかえり」  ダイニングに入って来た祥子は、そう言った文男にかまわず喋りはじめた。 「あっ、それどうだった? …紫外線で特殊処理してみたものなんだけど。初めてだからちょっと心配なんだ。研究室の誰も食べようとしないし…」  文男は口の中のものをティッシュペーパーに吐き出した。 「…大丈夫、危険じゃないから。問題は味なのよ、味。…あ、そうだ、ついでにこれも食べてみて」  祥子は肩に下げたバッグからタッパーウェアを取り出し、蓋を開けて文男の前に置いた。中にはサイコロ大の緑色のゼリーのようなものが入っている。  文男がひとつつまんで恐る恐るかじると、中からパンが現れた。サイコロ大のパンがゼリーでコーティングしてある。祥子は喋り続けた。 「パン屑が問題なのよ。手に持ったり、かじった時に、必ずパン屑が落ちるでしょ? 無重力状態だとそれが空中を漂って、機械の隙間に入り込んで大変なことになる。だからこうやってゼリーでコーティングしてみたの。屑が散らないでしょう? でも、味がちょっと問題なのよね」  祥子は文部科学省に付属する宇宙開発研究機関で働いている。神奈川県の郊外にある6階建てのビルに、一般のOLと同じように毎朝通っている。そこではロケットエンジンの開発から、宇宙飛行士の特殊心理に至るまで、さまざまな研究が行われていた。祥子の専門はその中の「宇宙食」だった。  人間が宇宙に長期滞在するのは、もはや特別なことではない。2011年に完成した国際宇宙ステーションISSには、これまでに何人もの宇宙飛行士が送り込まれ、みな半年から1年の長期滞在をしている。そんな今、宇宙開発の分野では、宇宙食にスポットが当っているのだ。チューブに入った宇宙食は古い。もっとおいしい、人間的な食事として通用する宇宙食が求められているのだった。祥子の所属する研究室は、そのアイディアを練っている。
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