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情けないが、歩けない。病院のイスに座ると、安田が飲み物を買ってきてくれた。
「織田を呼んできます」
病人を歩かせるわけにはいかない。俺は、必死に立ち上がろうとしていたが、その間に安田の姿は消えてしまった。
目の前を、再び怪我人が横切る。この場を移動しなくては、いつまでも貧血のままになる。必死に立ち上がろうとしていると、手を差し伸べられた。
「遊部さん?ですか」
見上げると、にっこり笑った笑顔の、白い歯が光っているような、爽やかな青年が立っていた。病院の部屋着であるので、ここに入院しているのだろう。
「俺が、織田です」
話の中の、ストーカーに追われる、女の子のような少年のイメージとは大きく異なり、身長も俺よりも高い。袖から見える腕は、結構な筋肉がついていた。
「はい。俺は、遊部です」
再び、織田が笑う。
「わあ、すげえ美形ですね。近くで見ると、三倍増しです」
織田が俺の手を引くと、立ち上がらせてくれた。
「この腕の中の感触がいいです。ふらつくならば、俺にしがみ付いてください。外で話しましょう」
病人に支えられて歩くというのも、恥ずかしい。でも、まっすぐに歩けない。
織田が、俺の腰に手をまわして支えてくれていた。織田は、服の上からでも、鍛えられていると分かる筋肉の感触があった。
通路を歩き、正面玄関から出ると、喫煙所があった。喫煙所の横を過ぎると、ガラス貼りの喫茶店があり、そこには入院患者が多く寛いでいた。
喫茶店には小さな庭に面して、外にもテラスがあり、織田がその椅子に俺を座らせた。
「ありがとう。助かった」
織田は、正面にではなく、俺の横に座って庭を見た。
「礼よりも、キスさせてください。こんな美形にキスできるチャンスなんて、滅多にないでしょうから」
ここで、キス?周囲を見ると、コーヒーを飲みながら本や雑談をしている人が多く、こちらを見てはいない。しかし、こんな公共の場でキスできる度胸は、俺にはない。
「ここで?」
「嫌だとは、言わないのですね……」
そうか、嫌だと言えば良かったのか。俺が、気付くと、織田が笑っていた。
「コーヒーでいいですね。ここの美味しいですから」
俺が立ち上がろうとすると、織田が静止させる。
「座っていて、足元、まだふらついていますよ。買ってきますから」
病人に気を使われてしまった。
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