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固唾を飲み、意を決してゆっくりと後ろを振り返る。なるべく目を合わせないように目線を下げる。何者か…たぶん鬼であるその足を若い足ではなく、年老いた足であった。
そのそばで、茶色の杖を目にしたときに、それを確信した。
「我が名は山神の鬼仙。ぬし、名を述べよ」
頭上から降った声はしわがれていたが、何か凄みを感じる声で、村全体に響き渡った。私は震えだし、声に詰まる。
「その娘は獣飼いの…!」
「黙れ」
村人一人の声を遮った鬼仙に村人全員が息を止める。
「私はこの子に聞いている。お前らは黙っていろ」
鬼仙の声は村中に響き渡るものの、感情に任せて怒鳴るわけではなく、落ち着いて、尚且つ威圧のある声で、不思議と落ち着くものがあった。
初めて顔を上げ、鬼仙の顔を見た。
鬼仙は大きく、体のしっかりした老鬼だった。胸を張った、勇ましい姿に見とれた。
「ぬしの名は」
鬼仙は白とも銀とも言える整った髭を揺らした。
「私は獣飼いの家の長女の、紅と言います」
鬼仙はうなずくと、片膝を地面につき、私と目線を同じにした。
「紅、よい名だ。お前の持っている花をこちらへ、そんなに強く握っていたら花が死んでしまう」
私は、あ、と小さく声を漏らし、今まで握り絞めていた手を緩めた。
鬼仙は花を受け取ると、優しく口づけをした。
するとその瞬間、さっきまでしおれていた花は元気を取り戻し、淡い光を帯びた。
「…どうして?」
私が不思議そうに尋ねると、鬼仙は私にそれを手渡し、優しく微笑んだ。
「私は命を吹き込むことも、奪うこともできるのだ。そして、ぬしも」
私は受け取った花を近くで見つめ、鬼仙の言葉に首を傾げた。
「私も?」
「ぬしには力があるのだ。その花には、命が宿っている。その命はどの命の代わりにもなるのだ」
はっと気づいた私は勢いよく後ろを振り返った。
目線の先には横たわった女のそばで憎しみにあふれた神楽の姿があった。
私は急いで立ち上がり、神楽のもとへ走った。
村人が、ひっ、と小さな悲鳴を上げながら私から一斉に離れてゆく。
そのおかげで神楽までの道が一本にひらける。
「…紅?」
神楽は不思議そうに私を見つめた。
「神楽のお母さん、死んじゃダメ」
私はそういって淡く光るその花を女の唇に触れさせた。
するとその花の光が、すうっと女の口の中へ入っていき、やがて花は枯れていった。
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