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深い眠りから覚めるように、重い瞼を押し上げる。
青々とした草の香りが鼻を掠めた。
目の前で大きな白い翼が風に揺れている。
「……三郎坊?」
ゆっくりと振り返ったのは、懐かしい顔だった。
「久しいな、律。痛みはもう平気か?」
――あの声だ。
幼い律が大好きだった、低く優しい声。
草の上に横たわっていた体をゆっくり起こすと、律は三郎坊のすぐ側へと歩み寄った。
「……ボク、なんで忘れてたの? あの時なにしたの?」
天狗は困ったように律の頭を撫でた。
「この町でのことを忘れて、父親と幸せに暮らせるよう術で記憶を封印した。額にあった葉団扇の形の痣は術の印じゃ。どうやらあれが暴走してお前を苦しめたようだ」
「そういえば、頭痛くなくなってる」
「ああ、術を解除したからな。あの痣ももう消えてしまった。せっかく忘れていたのにすまない……」
検討違いの謝罪に、すぐには言葉を返せなかった。
十年も経てば律にだってわかる。
あの時三郎坊が自分とは一緒にいられなかったこと、なにも告げず記憶を封印してしまった理由も。
全ては律を大切に思っているからこその決断だったのだと。
――だけど。
「羽根、返してよ」
「え……」
「友愛の証」
「……っ。ならん。わしと関わればまた前のようなことが起こるやもしれん」
頑なに拒もうとする天狗の不器用さに呆れ、律は真っ直ぐに瞳を覗き込んで言った。
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