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「ダンが生まれたとき、僕はもう三十だったからね。そう言えば僕達もずっと働きづめで、息子の相手はあまりできなかったね。ダンがピアノに夢中で、それだけを一等望んでいたから、僕達はそれでもよかったけど…。それに、接する時間が短くても、ダンの傍には愛情表現が豊かな君がいた。僕は君と一緒にあの子を見守っていたから、どんなことにも耐えられたんだと思っているよ」
テッドは妻の白髪まじりの黒髪を愛おしそうに撫でた。アニタは笑って、夫の肩に自分の頭をもたせかけた。
「君と違って、僕の母は愛情表現が控えめな人だったから、僕はさほど母親の愛情も受けて育ったように感じてなかったな…。といって、それが不満ではなかったよ。学生時代に、親に抑え込まれて不満たらたらの奴らを大勢見てきたからね。それに比べて僕は自由にいろいろさせてもらったと思う。話を戻すけど、まあ幼い頃はそういうわけで、父がフロリダの港に上陸して行方不明になったと聞いても、特別寂しいとか悲しいとか、そんな感情は起こらなかった」
「でもキャレンさんのほうは、とても案じておられたでしょう? 警察に届けても何の連絡もなかったわけだから」
「うん。だけど当時の母も、父を心配する暇はあまりなかったと思う。貯金は少しだったらしいし、収入は父に頼ってたから、母はすぐに仕事を探すしかなかったらしい。そのとき僕が成長してたら、もっと母の助けになれたんだけど…」
「それは仕方ないわ。あなたはほんの子ども…でも、あなたがいたから、キャレンさんは頑張れたのじゃなくて? 母親って大抵そういうものよ。子どもが幼ければ幼いほど守るために強くなれるの。だから隣町で住み込みのメイドを募集している噂を耳にしたとき、キャレンさんはすぐに応募されたのだと思うわ」
「ありがたい話だったな…当時、若きプロ・ピアニストだったジョフリー・ハワード氏の奥さんが、面接で母の話を親身に聞いて下さって、母と僕はハワード邸の小さな離れに住めることになった。母はメイドとして働けるようになったんだ」
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