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「ごめんね、夏が終わったら閉店しようと思っているんだ」
唐突に切り出す。水だけでも悪いかと思って、珈琲を出したところだった。
「はぁ…」
彼女の反応は、こちらの言わんとするところを理解していないようだった。
「それって何か不都合があるんですか?」
「不都合というか、君が困るでしょう…」
「なんでですか?」
あまりにきょとんとした彼女の様子に、こちらが頭を抱える。
「あと数か月でなくなるところで仕事をするのは、どうなのかと。あと、住み込み可とはありますが、この店の裏のスペースで私と同居という環境です。一年以上も外さずおいているだけだったので、すみませんが…」
どう見ても20代半ばくらいの女の子だ。これくらい言えば諦めてくれるはず。
「いいですよ」
なんとも潔く、彼女はそう言った。
「えっ、…いや、そういうわけには」
「どうしてですか?」
やはりきょとんとしている。どうやら世間を知らないらしい。
「こんな歳でも、私も男です。君はもう少し、危機感というのを持った方がいい」
「そうやって止めてくれるってことは、大丈夫ですよ」
有無を言わさないこの無邪気さはなんだろうか。安全だと思われるのは、男として屈辱なのだが。
「でも、私、前の部屋解約しちゃったんですよね。住む家もないですし、接客は得意ですよ」
「そういうことでは…って、え?!家、解約しちゃったんですか?まだ面接もしてなかったのに」
「はい!採用してもらえると思っていたんで」
臆面もなく、彼女はそう言い切った。見目も久しぶりに若い子と接しているという色目を抜きにしても悪くない。むしろそこらで見掛ける女性よりも可愛い上に、愛想もいい。それにしてもこの自信がどこから来るのかはさておき、常識が通じないのだけは確かだ。
「お客さんもあんまり来ないし、君に払える給料があるか…」
接客自体が向いていないのか、今は常連客以外はほとんど来なくなっていた。
「住み込み代だけでも、お給料ってことにしてもらえたら大丈夫です。お客さんは頑張って増やしましょう!まずはお試しで1週間でもいいんで、よろしくお願いします!」
「え?」
そうして、勢い任せに猫のように転がり込んできたこの東条咲(とうじょう さき)という娘に半ば丸め込まれて、夏が始まったのだった。
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