営業開始。

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「いつもの、ブレンドでね」 彼の〝いつもの”はブレンドコーヒーなのだが、初めての彼女に優しくそう言ってくれているようだった。 「かしこまりました」 得意げにそう返すと、彼女はついさっき入れられるようになったそれを、すぐさま用意しに行った。 「いやぁ、淳くん、いい子が入ったね」 木崎淳一(きさき じゅんいち)というのが私の名前だ。常連客は皆、淳と呼ぶ。マスターと呼ばれていたのは、前マスターである旦那さんだけだ。 「あ、淳さんかー。淳さんでいいですかね?」 咲がカウンターの中からそう問い掛ける。カウンター席で首を傾げる高木に気付いて、言葉を足す。 「あ、さっき私のことをなんて呼んだらいいかと聞かれていたんです。店長と呼ばれるのには慣れなくて」 頭を掻きながらそう言った。 「はっはっはっ、たしかに、そう呼ぶ人はいないからね。マスターが亡くなって君がもうこの店をやっているんだし、マスターと呼んでもいいと思うが」 「その呼び名は旦那さんのものです。僕が呼ばれるのは、なんだか申し訳なくて」 以前ここを経営していた老夫婦を、私はとても慕っていた。前の職を辞めるまで、ずっと朝の珈琲を嗜みにここを訪れていたのだが、彼らには本当に良くしてもらった。 「律儀なもんだ。それなら、僕らと同じようにお嬢さんも淳と呼んだらいい」 「じゃ、そうしますね」 こちらに視線を向けて、なにがそんなに嬉しいのか彼女は笑顔でそう言った。まるで私まで客なのかという錯覚を覚える。 「いやぁ、朝から君みたいな可愛い子に相手をしてもらえるなんてね。僕はラッキーだよ」 高木は上機嫌で珈琲を入れる彼女を見守っていた。
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