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日出雄はとことんまで働いた。
二年目からは軌道に乗ることができた。日出雄の人柄から、多くの人脈も生まれた。
だが、二人が思っていた以上に会社は大きくなり、皮肉にも二人が一緒にいる時間は減ってしまった。
香は『さびしい』の一言を決して口にはしなかった。
口にしなくても日出雄にはひしひしと伝わってきた。
しかし自分ではどうにもならないくらいになっていた。
日出雄が深夜に帰宅した時のこと、当時の流行歌と思われる曲が部屋いっぱいに響いていた。
「今何時だと思っている、近所迷惑になるだろう。せめてヘッドフォーンで聴くとかしろ。」
後ろめたい気持ちがあるから、あまり強い口調では言えない。
一方の香はすました顔でこう言った。
「あら、今何時か分かっていないのはアナタの方だと思っていたわ。それにね、歌は耳じゃなく胸で聴くものよ。」
日出雄は胸で聴くという意味が解らなかった。
でも、たまの休みに料理をする香が口ずさむ歌ともハミングともとれない響きを聴くと妙に落ち着き楽しい気分になる。
これが胸で聴くというものだろうと日出雄は考えていた。
それからの日出雄はできる限り二人の時間を作るようにした。
人材育成にも奔走し、任せられるところは任せるようにした。
結婚記念日にはペアカップを新調し、二人で紅茶を楽しんだ。
十二脚を超えた時に、さすがに多すぎるとも感じたが、ここまできたら集めるだけ集めようとなった。
その頃から日出雄は立ちくらみを覚えるようになった。
長風呂やサウナに入ると決まって頭痛がした。
香は病院に行くよう勧めたが、「大丈夫だよ。」と笑って答えた。
日出雄は病院が嫌いだったわけではない。
しかしながら立ち止まってしまうと、すべてが終わってしまうように感じていた。
誰からも成功者だと思われている、その一方で自分自身は成功者だと思えなかった。
いつもどこかに不安を感じ、すべてを失ってしまうかもと怖れをもっていた。
具体的に何を失うかなんて分かっていないのに。
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