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「まともに家事が出来なかったら、地元の大学しか受験させてもらえなかったわけ?」
「そういう事。大学からは東京に出るつもりだったから、結構必死だったよ」
「本当に、相当頑固で確固たる信念の持ち主みたいね。あなたのお母さん」
「君の叔母でもあるんだけどね……」
「…………」
些か皮肉っぽく和臣が口にした途端、室内に沈黙が漂った。失言を悟った和臣が若干気まずそうに視線を逸らした為、幸恵は気を取り直して慌てて話題を変えてみる。
「そう言えば、さっきから気になってたんだけど、そのワイシャツの右肩から右胸にかけて、どうしたの? 何か落書きした様に汚れてるけど」
何気なく聞いてみた幸恵だったが、それを聞いた和臣は深々と溜め息を吐き、幸恵に情けない表情を見せた。
「これ……、全然覚えてないんだ?」
「え? ええと……」
左手人差し指で問題の箇所を指し示しながら確認を入れてきた和臣に、幸恵は冷や汗が流れ始めるのを感じた。
(あら? そう言えば良く見たら、何だか見覚えが有る様な無い様な……)
そんな幸恵の戸惑いを見透かした様に、和臣が淡々と事情を説明する。
「犬の和臣の話をしながら飲んでる最中、幸恵さんが急に『発明の神様が来た! 和臣が連れて来てくれたわ!』って叫んで、忘れないうちに書き留め様としてボールペンを見つけたのは良いものの、適当な紙が見当たらなくて」
「ちょっと待って」
僅かに顔を強張らせて幸恵が一旦話を止めようとしたが、話し出したらさっさと終わらせたかった和臣は、殆ど棒読み調子で続けた。
「紙を見つけられなかった幸恵さんが、いきなり問答無用で俺のジャケットの前を広げて、嬉々としてここにボールペンで」
「分かったわ。思い出したから、それ以上言わないで。お願い。……誠に申し訳ありませんでした」
「うん、覚えていないんだし、不可抗力だから気にしないで」
それ以上平常心でいられなかった幸恵は、思わず手からレンゲを離し、カーペットに両手を付いて和臣に向かって深々と一礼した。そして和臣は、そんな幸恵を困った様に宥める。
(完全に思い出したわ。穴が有ったら入りたい……)
カーペットに両手を付いたまま羞恥心のあまり項垂れていると、和臣が控え目に声をかけてきた。
「その……、幸恵さん」
「何?」
思わず顔を上げた幸恵に、和臣は再度殴り書きされた箇所を指差しながら、真剣な顔で問いを発した。
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