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それにしても、カタツムリというのは、何のために、どこへ向かって歩いて行くのでしょうか。一生の間にどの位の距離を歩けるのでしょうか。いまいる紫陽花の一株のほかにも世界があるということを知っているのでしょうか。そして、梅雨が明け、雨が上がり、眩しい夏の陽射しが輝く頃、そのカタツムリはどこに行くのでしょうか。
この、紫陽花の一株よりはほんの少し広い敷地の中を、毎日同じように歩き、そうして日を送っていると、私は、もうここだけが私の生きる世界なのだと思い込みそうになります。もちろん、本当はそうではなくて、この塀の外に「普通」の人々が住む世界があって、大勢の人が忙しく働いている社会というものがあるということはわかっています。でも、そこで暮らしをしていくためのいろいろなことは、もう観念的にしか理解できなくなりました。だから、せめて、カタツムリのように、ほかの誰を気にすることもなく、ゆっくりと、静かに、毎日を過ごしていけたらいいと思います。そして、疲れたらすぐにその中で眠ることのできる殻、だれにも邪魔されない自分だけの家が欲しいと思っています。
今、私はこの施設、いや、まわりの人々はそう呼びますが、はっきり精神科の病院というべきでしょう、そういうところで暮らしています。
でも、それはもちろん私の家ではありません。半年前、ほんの些細なこと、そうはいっても当時はそれなりに大問題でしたが、今となっては本当に些細なことのために、ここに入院させられてしまいました。そのときは、そのような境遇に私を陥れた人達を憎みましたが、いつのまにか、やはり私は病気だったような気がして、そうして、この病院で過ごす毎日に慣れていき、草花や、その回りを巡る小さな生き物たちや、その上を流れて行く雲を見ながら一日一日を過ごしていくのが、私の生活そのものになってきました。
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