古く慣る

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「早いね、いつもこんなに早いの?」 「うん」 湯気は時々吹く風に合わせて揺れ、その先にチヨの白い身体が見えた。 「昨日はごめんね、お仕事、先に上がっちゃって」 「いいよ、別に」 シノコはなんと答えればいいのか分からず、声を殺すように口元を湯に浸した。 「お姉ちゃん、人間なの?」 シノコはそう言って、それから尋ねた事をすぐに後悔し、また口を沈めた。 「うん」 チヨが返事したのは、しばらくしてからだった。 シノコはもう何も言わなかった。チヨも何も言わなかった。 代わりにまた鼻歌が響いてきた。弱々しく震えた鼻歌が聞こえてきた。やがてそれが嗚咽になって、涙へと変わった。 「......誰か......助けて......」 小さな声が助けを乞うた。 シノコはどうしようも無くなった。 涙を殺して歌い続ける姉の前では、物の怪である自分は到底醜いものであった。 きっと彼女は居場所がない風に思えるのだろう。一人だけ周りと違って、一人だけ周りと壁があって、一人だけ強がる事もひねくれる事もなく生きてきたのだ。 その苦しみがきっと今になって溢れたのだろう。妹には知られたくなかった事だったのかもしれない。 だから結局、シノコはどうしようも無いままに、小さな胸の前で腕を組み、ただただ姉の歌に聞き入っていることにした。 救いは来なかった。 救いは来なかったが、代わりに女将がやって来た。 それだけで、シノコは張り詰めた心が緩み、安堵して、それはチヨも同じで、彼女はそのまま声を出して泣いてしまった。
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