古く慣る

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「何泣いてんだい」 女将はいつものようにそう言って、足から静かに湯を揺らし、湯底に綺麗な身体を沈めて、四つの艶美な腕を伸ばした。 「お母さん、私やっぱり......」 チヨはそれ以上を言わず、シノコは心が苦しくなった。チヨが変な事を言う気がして、怖かった。 「まぁ、生きてりゃ泣きたくなる事くらいあるか......こっちにおいで」 女将は何も尋ねず、そうしてチヨを呼んだ。湯面がさらさらと揺れて、チヨの白い肩が女将の肩にくっついた。 「ほら、シノコも」 シノコもおずおずと母親の傍に這って行き、母親の膝の上に腰を下ろした。 誰も何も言わなかった。 だが、シノコの心は満ち足りていた。 その朝、何年振りかで家族三人は並んで風呂に入った。 ※ 屋島太三郎狸が帰途に着く時、やはり狸共は皆、僧に化けて、禿げ狸の後ろに控えていた。 「すまんのぉ、チヨちゃん。悪気はなかったんじゃがな」 屋島の狸は禿げた頭を摩りながら、申し訳なさそうに黄色い目を伏せて謝った。 見送りは女将とチヨとシノコの三人だけだった。 チヨは笑っていた。 「構いません、銀禮酒、買って頂きましたから」 屋島は片手に酒の桐箱を持っていた。銀禮酒というのは、くにがしらの土産酒の内で最も高い酒であった。 「チヨちゃんは商売上手じゃい、将来良い女将になるよ」 「なんだい、禿げ狸。あんた結局たった一本しか買っていかないのかい?」 「無理じゃ無理じゃ。一本で三年食っていけるだけの金がいるんぞよ?」 「そりゃ、あんた、味は良いんだから」 古蜘蛛と古狸はそう言ってしばらく話し続けていたが、やがて狸の方から、買った酒の箱を僅かに掲げ、チヨとシノコに別れを告げて去って行った。
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