第1章

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「このマンスリーなら今日から入居できます。オール電化だし、近くに無料の動物園もありますよ」  伊達メガネの若い不動産屋が白黒写真を指差した。 「そこにします」  私は二ヶ月間の契約を結ぶと、契約書の控えと鍵と簡単な地図をもらって、キャリーバッグを引きずり店を出た。  つい昨日まで、ブラック企業と名高い某大手出版社にいた。入社直後、待っていたのは英語教材の訪問販売で、高いノルマが課せられた。  私は大量採用された他の新入社員や、それを上回る中途採用たち同様、1ヶ月で退職に追い込まれ、2日以内に社宅を出るよう命令されたのだ。  何がなんだかわからないまま格安引越し業者を探し、家電や家具を東北の実家に送った。  昨日はダンボールを布団換わりに、カーテンのない部屋で一夜を過ごした。  あんなに長い夜は、初めてだった。  つらつらと考えながら歩いていると『動物園へは 右直進!』の大看板が見えてきた。その真下で、大きなサングラスをかけた男性が警官に注意されている。  私はそこを通過し、散々道に迷い、ようやくマンションへたどり着いた。 「……」  写真の二倍増しで古く薄汚い。 「オール電化って……」  キッチンに、ぐるぐる巻きのソーセージみたいな電気コンロがついている。 「冷蔵庫は?」  近くの白い戸棚を開ける。それが冷蔵庫だった。上部に申し訳程度の冷凍部分。これなら無い方がマシなんじゃ、と唖然とした。  その時、隣の部屋からうっすらシャワー音が聞こえた。 「そうだ、お風呂」  扉を開き、そして閉じた。バスとトイレはセパレートで、と伝えるべきだった。  テレビがないと分かった時は、さすがにショックだった。まあ、元々テレビを見ないタイプだし。と、自分に言い聞かせる。  洋服をしまおうとクローゼットの扉を開けると、ピンク色のCDラジカセがぽつんとあった。  テレビの代用品のつもり? それとも前住人の忘れ物?  どっちでもいいか。  私はCDラジカセを取り出し、コンセントにつないだ。  持ってきたジャズコンピアルバムをセットし、ウキウキと再生ボタンを押す。    パッパーン・パラー・パラッ・パー 「きゃ!!」
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