第1章 母との別れ

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 それに秀明は軽く頷き、人が行き交っている襖を取り払った広い和室を見回しながら、しみじみとした口調で述べた。 「日程的には、それが妥当な線だろうな。しかし今時、自宅で通夜も葬儀もする家は珍しいし、大変だな」 「これまで祖父母もそうやって見送ってきたし、あまり違和感は無いわ。確かに色々と煩わしい事はあるけど、最期はできるだけきちんと送ってあげたいもの」 「そうか」  静かに微笑んだ美子を見て、秀明は余計な事は言わずに頷いてから片手を伸ばした。 「それをちょっと貸せ」 「何をする気?」  一度渡された物をもう一度寄こせとは何をする気かと美子が訝しんでいると、再びビニール袋を受け取った秀明は、ポケットから細字のマジックを取り出したと思ったら、左手の手首に提げた袋の中から箱を一つずつ取り出しては、日付を書き込んで元通り袋に入れるという作業を続けた。そして全ての箱に書き終えてからマジックをしまって、再び美子に袋を差し出す。 「どうせ眠れないだろう。今日の夜に一本、明日の夜に一本、明後日の朝に一本、そして明後日の夜、寝る前に二錠だ。間違っても睡眠導入剤は、他の物と一緒に飲むなよ?」  真顔でそんな事を言い聞かされた美子は、ちょっと驚きながらビニール袋を受け取りつつ問い返した。 「これを差し入れる為に、わざわざ来てくれたわけ?」 「ついでだ。ひょっとしたら、深美さんの顔を見られるかもと思ったんだが」  若干素っ気なく言われて、美子は僅かに腹を立てた。 「せっかく教えてあげたんだから、直接病院に行けば良いのに」 「家族の中に割り込むのは、さすがに気が引ける。それに多分君は残っていると思ったから、そんな人間を差し置いて、赤の他人の俺が顔を見に行くのはどうかと思った」 「…………」  淡々とそんな事を言われて、美子はすぐに怒りを静めた。そして何と言って返せばよいか咄嗟に分からずに黙り込んでいると、秀明が再び口を開く。 「平日なので仕事があるから告別式は無理だが、通夜には顔を出すつもりだ」  皮肉も嫌味も含んでいない、常には無い穏やかな口調に、美子は思わず穏やかな口調で応じる。 「ありがとう。お母さんも喜ぶわ。だって全くの赤の他人だなんて、思っていなかった筈だし」 「……そうか」  秀明も表情を緩めて言葉少なに応じた所で、美子の背後から恐縮気味に、年配の黒スーツ姿の男性が声をかけてきた。
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