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用意してあったおしぼりで顔を拭きながら秀明が正直な感想を述べると、周りから苦笑が漏れる。
「お疲れ様です。結局白鳥先輩のメイクが、一番大事になってましたね」
「これからもう一仕事あるから、すぐに取れる奴にしてくれと頼んだからな。お前達のは、専用のリムーバーとか、温めながらじゃないと駄目だろう」
そう言いながら白いスーツを脱ぎ、日中着ていたビジネススーツに着替えながら秀明が告げると、後輩達は一瞬不思議そうな顔になった。
「なるほど。でもこれからもう一仕事ですか?」
「ああ。実は彼女を待たせていてな。用心の為、和臣と久礼を張り付かせている」
それを聞いた後輩達は、もはや笑いを隠そうとはしなかった。
「それはそれは」
「頑張って下さい」
「じゃあ、その角を曲がった所で降ろしてくれ」
そして後輩たちの冷やかし混じりの激励の声を背に受けながら、秀明が車を降りて目的地に向けて歩き出す一時間ほど前。その年最後の稽古を終えた教室で、美子は帰り支度を終えた生徒達から、挨拶を受けていた。
「お疲れ様でした」
「今年もご指導ありがとうございました。良いお年をお迎え下さい」
中の一人がうっかり漏らした言葉に、隣の者が慌てて袖を引く。
「ちょっと! 藤宮さんは」
「あ……、失礼しました!」
美子が喪中である事を思い出した彼女は慌てて頭を下げたが、美子は気にする事無く穏やかに言葉を返した。
「いえ、構わないわよ? 私だって良い年を迎えたいもの。来年も宜しくお願いしますね?」
「はい、こちらこそ、宜しくお願いします」
そうして生徒が全員引き揚げてから、美子は野口を振り返って微笑んだ。
「先生、今年も無事に踊り納めができましたね」
「ええ、そうね。だけど藤宮さん、本当に出て来て良かったの? 無理しなくても……」
気遣わしげに尋ねてきた野口に、美子は少々困った様に微笑む。
「初七日は過ぎましたし、少し体を動かしたかったんです。却って皆さんに気を遣わせてしまって、申し訳なかったですが」
「それは気にしないで。気分転換できたら良かったけど」
「ええ。十分できました。ありがとうございます」
「それじゃあ、少しお茶を飲んでいかない?」
「ご馳走になります」
そして教室に隣接した控室で、ちゃぶ台を挟んでお茶を飲み始めた二人だったが、野口が何やら神妙な口調で言い出した。
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