第1章 母との別れ

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 彼なりに、普段忙しく働いている母親を気遣っての台詞だったのだろうと、容易に見当が付いた美子だったが、そんな事を指摘されたい為に相手がわざわざ口にしたのではないであろう事も分かっていた為、余計な事は言わずに口を噤んだ。 「その後すぐ、母が体調を崩して入院して、病気なのが分かった途端、あっという間に悪化して死んだものだから、俺にしては珍しく、その時の事を、少しだけ後悔していてな」  自嘲気味に言ってはいたが、変に湿っぽく無い分、逆に秀明がその事を相当意識しているのを何となく感じ取った美子は、調子を合わせて淡々と言ってみた。 「せっかく誘ってくれたのに、行けば良かったって? それでそれを、それより前に母にポロッと愚痴った事があったとか?」 「まあ、そんな所だ」 「本当に、らしくないわね」  素っ気なく言って美子が紅茶を一口飲みながら秀明の様子を窺うと、彼も同様に喉を潤していた。それを見ながらある事を思い出した美子は、言い難そうに言葉を絞り出す。 「お母さんと言えば……。その……、悪かったわ」 「何の事だ?」  いきなり謝られて秀明は本気で当惑したが、美子はこの機会に言ってしまおうと言葉を継いだ。 「だから……、二年前に、あなたの母親の事について、かなり失礼な事を言った覚えがあるし。愛人云々とか、何をどう考えてあなたを産んだのかとか。一度ちゃんとその事について、謝らないといけないとは思っていたんだけど……」  俯き加減でそんな事を言われて、秀明は漸く該当する事柄を思い出した。しかしすっかり記憶の彼方に葬り去っていた内容であり、まだそんな事を気にしていたのかと正直おかしくなりながら言葉を返す。 「ああ……、俺がいつもふてぶてしいんで、つい謝るのを忘れていたと?」  含み笑いでそんな事を言われて、美子の顔が僅かに引き攣る。 「自覚があるのなら、普段の態度を少しは改めて欲しいんだけど」 「無理だな。まあ、あの時の事は別に本当の事だし、別に気にしてない。俺も相当失礼な事を言った覚えがあるし、相殺だと思っていたんだが」 「そう言って貰えると嬉しいわ」  若干強張った笑みの美子を見て、秀明は笑いを堪えながら話を元に戻した。
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