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立花薫はファーストフード店のテラスの椅子に座り、ただ熱いだけが取り柄の薄いコーヒーをチビチビ啜った。
狭い道路を挟んだ向かい側には小さな書店があり、その入り口を見張りながら、もう45分が過ぎた。
尾行中の男は本の虫なのだろうか。出てくる気配が無い。
うんざりする思いで薫はまたひとつため息をついた。
本日のターゲットはしがない42歳のサラリーマン、鈴木。
一目で恐妻と分かる妻からの浮気調査依頼だった。
『このまえ携帯覗こうとしたらロック掛けてやんの。そんなもん掛けるのは100年早いんだよ! って叱ったら解除したんだけどさ、後で見たら履歴全部消してやんの。やましいことしてるのバレバレじゃない。
最近じゃ休日には一時も家に居ないで出歩いてるし、100%女がいるのよ。あんな裏なりのヘチマみたいな顔してさ。証拠突きつけて慰謝料でもふんだくってやんないと、腹の虫が収まらないのよ!』
あれだね、奥さん。それは愛故の嫉妬なんてもんじゃなくて、支配欲が生み出した横暴だね。
サル山のサルのほうが、あんたより何万倍も気高い。
そんなことを腹の中で呟きながら2日前、薫は本社に来たその依頼を(しぶしぶ)請け負った。
過去、二度ほど尾行中に不審車両の通報で警察沙汰になって以来、薫は車での尾行は一切やめた。
今回のターゲットが滅多に車に乗らない男で助かったが、こうのんびりとした移動に付き合わされては、暇で仕方ない。
特に精神がナーバスなこんな日は、何かしていないと嫌なことばかりが頭をぐるぐると巡る。
『私だからダメなの? それとも“女”がダメなの? どっちにしたって馬鹿にしてるわ!』
昨夜浴びせられた言葉が不意に脳裏によみがえり、薫はがっくり肩を落とした。
『いや待て! そうじゃない。そんなはずは無いんだ』
ホテルの部屋を出ていく女の背に、素っ裸で掛けた自分の言葉。
その情けない状況を思い出すたび、ますます気が滅入った。
“そんなはずじゃない”
こんな滑稽な言葉があるだろうか。じゃあ、どんなはずだったのか。
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