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薫がぶつかったのは、まさに尾行中の鈴木だった。
薫も思わず「あ」と、漏らしそうになった声を飲み込んだ。
「すみません、大丈夫ですか? ごめんなさい、いきなり飛び出して」
冴えないが、人の良さそうな表情で鈴木は薫に詫びた。
その横には、さっきのヒョロリとした中年男も所在なさげに立っている。
その男もやはり気が弱そうで、しきりに目を泳がせ、気まずさを物語っていた。
それはそうだろう。
この白亜のホテルのドアから出て来て、“休憩1時間3000円から”などと書かれた看板の横で、どんなすました顔ができよう。
薫は驚きと、納得と、自分の失態への後悔が同時に頭の中でマーブル状になる中、取りあえず落ち着いた声を絞り出した。
「いえ、私の方こそ不注意でした。申し訳ない」
そう言っては見たものの、その場はなんとも奇妙な空気で満たされ、そこに立ち尽くす4人を動けなくした。
かなり動揺していた薫だったが、すぐにそのターゲットの前から「では、失礼」と、立ち去ることもできない。
自分は、決定的現場のまっただ中にいるのだ。
宝探しに来た盗賊が足を取られ、うっかり落ちた穴が、たまたま宝の埋蔵場所だったのだ。
立ち去れるはずがない。
しかしその後、意外なことに鈴木が口を開いた。
「残念ですが、今、満室のようですよ。他を当たった方が良さそうです。お互いにね」
ねぎらうようにささやかれたその言葉と優しげな笑みが一瞬理解出来なかった薫だが、意が通じるやいなや、咄嗟に頭の中でボンと何かが弾ける音を聞き、春樹を振り返った。
春樹は相変わらず寝ぼけ顔のクマを抱き、キョトンとした顔で薫を見ている。
「い、いや、そうじゃないんです。俺たちは……」
咄嗟にそう弁解しようと再び鈴木に向き直ったが、更なる優しげな言葉が鈴木の口からこぼれた。
「だけど、気をつけた方がいいですよ。その子、まだ未成年でしょ? けっこう補導員が目を光らせてますからね、この界隈は。見つかれば、面倒なことになりますよ。何より、その子を傷つけないためにも、くれぐれも……ね。まあ、同じ穴のムジナが、えらそうに言えた義理じゃないですが」
鈴木は慈愛に満ちた笑みを薫と春樹に投げかけると、連れの男と共にゆっくりとその場を去って行った。
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