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確かに彼女にはすまないと思った。
出会った時、いい女だと思ったのだ。もしかしたら、今度こそイケるかもと。
そう思う事にときめいた。自分はちゃんと女を愛せるのだ、と。
けれども、身体は残酷だった。
バリバリ仕事をこなし、男からも女からも信頼と好感を得、幸せな家庭を持ちつつも、たまには健全に羽目を外す。
それが自分の描いていた理想では無かったか。
いや、違う。
それは「そう有らねばならぬ」という馬鹿げたひとつの強迫観念だったのだ。
実際の自分はまるで違う。早くに気付いていた。
けれども自分の中に染みついた安っぽい虚栄心が、常に三文芝居を演じさせた。
“自分は女好きのプレイボーイなのだ”
いつしか自分がノーマルでありたいのか、ただ事実を知られたくないだけなのか、分からなくなった。
そして今日も不毛な溜め息に暮れる。
薫は自分の中の澱んだ空気を排除するべく、正面の書店入り口をじっと睨みつけながら、大きく深呼吸した。
ふとその時、目の端に見知った人物を見つけ、薫はテラスの前の歩道に目を移した。
男でも女でも似合いそうな、フード付きチェックのシャツを着たその少年は、時折街路樹のハナミズキを見上げながら、柔らかい光を浴びて雑踏の中に咲いていた。
殺風景な美沙の事務所に居るときには見せない少年らしい瑞々しさを、太陽の下では惜しげもなく開放している。
今日は休日なのだろうか。
「春樹くんじゃないか?」
声を掛けると、春樹は驚いたように薫を見、一瞬辺りを見回した後、少し戸惑った笑顔で近づいてきた。
「こんにちは。薫さんもお休みですか? 一人でこんな所に来られるんですね」
「似合わない?」
「いえ……そんなこと」
薫は今日の自分の装いを見た。
確かにイタリア製のぴしりとしたダークブラウンのスーツは、中高生で賑わうこんな店の前では浮くのかもしれない。
「なるほど。尾行するには不適切だったかな?」
「尾行中なんですか!?」
春樹は驚きの声を上げながらも、そのトーンを抑えた。
そしてさり気なく、目だけで四方を伺う。
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