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文句を言おうとした口が、自然と閉じる。
気持ち悪いこと言うなと頭を叩いてやりたいのに、目力が強くて動けない。
「本当にきれいだったんだ。青空を突っ切っていく白球みたいに、すっ……て跳ぶ。音がしないんだ。走ってるときも、跳んだときも、背中から着地したときも、まるで無声映画のワンシーンを観てるみたいだった。でもモノクロじゃない」
「……う、うん」
「青い空と体操着の白が、目に焼き付くようだった。それで、おまえが着地したあと、一斉に周りの音が戻ってくる。蝉の鳴き声と、ひとの声援だ」
「去年の夏の話か」
「そうだよ」
去年の夏は、最盛期だったといってもいい。
あのあとから、おれは崩れた。
精神的に何かあったとか、怪我をしたわけじゃない。唐突に跳べなくなったんだ。理由がわからないから直しようもなくて、ずるずるとここまできた。
でも、こいつにはおれにさえわからなかった理由がわかっているらしかった。
「じぶんだけ陸上部を離れて、悔しくないのか。周りが夏の大会で盛り上がってて、いてもたってもいられないだろ。なあ、違うか、空一?」
「そう、かもな」
「だったら行ってこい。だめならだめでいい、それでも俺はもう一度おまえの跳ぶところが見たい」
後ろのふたりが、無言でおれの背中を叩く。
ああもう、なんだってんだ。この青春ドラマ、誰か止めてくれよ。それとも、おれが行けば勝手に止まるのか? そっか、それじゃあ、ちょっと行ってくるかな。ロビーで演目はじめられちゃ、運営部のひとたちも困るしな。
「シューズとゼッケンはマネージャーに頼んである。おまえは身一つでいい、行ってこい」
とことん根回しがいい。もしかしたらこいつは、なんだかんだでこういう展開にしようと最初から企んでいたのかもしれない。
「おれが行かないって言ったら、お前どうするつもりだったんだよ」
意地の悪いことをちょっと聞いてみたら、あいつは首をかしげて「そしたら仲良く演劇観賞するしかないな」とあっさり言った。
そうかよ。じゃあ急いで戻ってくるから、ちっとばかし待っとけよ。
おれは長距離走者じゃないけど、インターハイに出られるんじゃないかってくらいのスピードで駅に向かった。
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