1 四月十一日

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1 四月十一日

 桜の花びらが、はらりと散った。  視界を横切った小さな桃色の欠片に気付くと私は顔を上げ、目の前の現実に目を向ける。  その先には海が、そして眼下には釜石市の街並みが見えていた。  ただの街並みではない。  津波によって徹底的に破壊された町並みだ。  ちょうどひと月前の三月十一日に発生した津波によってこの街は大きく変わってしまった。私はそのときここにはいなかったけれど、生まれ育った街の景観があまりにも変わってしまったことは、私の心に消えない傷となって深く刻みつけられた。  私がいる薬師公園は市民病院近くの高台にあり、津波に呑まれた港町や大町の一帯を見下ろすことができた。  あの日、突然襲ってきた地震のあと、多くのひとがこの公園へと避難してきたという。避難場所に指定されていたからだ。坂を上り、階段を上り、人々はこの公園まで逃げてきた。  私の実家からも近く、運動もかねてたまに来ていたこの公園から、こんな光景を見る日が来るなんて、思ってもみなかった。  ここまで。  ここまで、この街は破壊されてしまったのか。  遅い遅いと文句を言われつつ、それでもガレキの撤去は進みつつあった。街のあちこちで重機がせわしなく動いている。市の動きが遅かったのも事実だが、どこから手を着けていくべきか、すぐには分からなかったのも事実だろう。それに誰もがまず自分の土地から片づけてほしいと望むもの。自分の領域からガレキがなくなるまで、人々が口を閉ざすことはないのだろう。  良いか悪いかということではない。  それが人間だ、ということだ。  そのせいか地震と津波が起きたあの日からひと月が経過した今になっても、この街の片隅にはひっくり返ったままの自動車や津波によって基礎部分を流された家が傾いたまま放置されていた。大きな道路はガレキが取り除かれて車も通れるようになっている一方で、小さい裏通りはガレキでふさがったままだ。  津波の直前まで――波が来てもなお、と証言したひともいる――避難を呼びかけていた消防車も流され、住宅にぶつかって横倒しになっている。  倒れた電信柱。  切れてぶら下がったままの電線。  三階建てのビルは一階だけが被害に遭い、大きな穴が空いているところもあった。二階より上は無事であるとはいえ、一度すべてを壊して立て替えなければとてもひとは住めないだろう。
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