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そのとき、自分の家があった場所に戻りたいという雰囲気が公園のなかに漂ってきたのを私は感じだ。子どもだけではない。大人たちだって早く下に行きたいと考えていた気がするわね。自分が暮らしてきた場所へ、今まで通りの現実へと戻りたいと願っているのよ。たとえそこにかつての現実が存在しないのが目に見えていたとしても、ね。
それでも、津波の危険が去るまでは高台に留まらざるをえない。
程なくして第三波、第四波が釜石を襲ってきた。そうしてようやく警報が解除され、私たちは各自の家へと戻ることができたの。正確に言えば、家があったところに戻っていったの。
津波は、私と夫が暮らす家をも呑み込んでいた。
床上浸水程度で住んだのは幸いだったけれど、玄関や壁の一部が破壊されており、それらを直さない限りここには住めそうになかった。
私はすっかり海水に浸かった室内を見て呆けていたわ。
少なくとも今晩ここで寝ることはできない。娘もいる。必要なものだけを持って、近くの家に泊めさせてもらわなければならないかもしれない。あるいは、夫の親戚を頼るか……。
いずれにしろ、詳細を決めるには夫の帰宅を待たなくてはならなかった。どこで生活するにしろ、彼がいなくては話にならないからね。今後の仕事だってある。一時的にでも夫が通勤しやすそうなところに住めたらいいな、そのときの私はそう思っていたの。
でも、夫は――田沢貴は帰ってこなかった。
続く
(この小説の全文は第1回文学フリマにて頒布予定の『幻影復興 -メフィスト・リブート-』で読むことができます)
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