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2 果てしない海
田沢貴の話をしてあげる。
何度も話したい話ではないから、しっかり聞いてちょうだいね。
津波が街を襲ったのは、私が二十五歳の誕生日を迎えたその翌日だった。二十三で結婚し、翌年子どもを産んだ。そして二十五歳になって一日で大津波がやってきた。
そのとき、夫――貴さんは不在だった。
新日鐵釜石で働いていたあのひとは三交代制だったから、土日や昼夜も関係なかった。だからあの日、勤務時間に津波がやってきたというのは不幸としか言いようがなかったの。
そろそろ一歳になろうかという娘の添い寝をしたまま、すっかり眠り込んでしまっていた私は「美絵さん、津波が来るぞ」という近所のひとの叫び声を聞き、慌てて起きあがった。
すぐに時計を見たわ。
そろそろ三時になろうかという時間だった。
私は慌てて娘を抱え上げて、外に出られる暖かい格好をさせた。そして自分は簡単に上着を羽織り、家の外に出ていったの。
津波が来るということは、大きな地震があった。
直感的にそう思っていたから、地震のとき目を覚まさなかった私は本当に危なかった。下手をすれば津波がくるまで眠りこんでいた可能性もあったわけなの。だから声をかけてくれた隣人には本当に感謝しなければいけなかった。
近所のひとも慌てて外に出てきたようで、みんな驚いたような、あっけに取られたような表情をしながら周りを見渡していたの。
本当に津波がくるのかいぶかしんでいるようにも思えたけどね。
その一方、私の家より海側に住んでいるひとたちが急いで高台へ向かっている姿も見えた。
こんな光景なんて見たことはもちろん、一度たりとも想像したことなんてなかった。当然よね。建物に遮られて私の家から海を見ることはできなかった。だけど、人々は堤の先にあるものに怯えていた。以前の津波を経験したひとから伝え聞いた恐怖が、心の奥底に眠っていたのかもしれないわね。
私の家は釜石港に隣接する浜町にあったの。
隣の大町であれば事情は変わるのかもしれないけど、そのあたりには海で働くひとか、輸出の関係から製鉄所の関係者が多く暮らしていたのよ。海産物、そして製鉄が釜石を潤していたから、便利な港付近にそれらで働くひとが集まるのは当然とも言えるわね。
そういうわけもあって、近所には夫の同僚も多く住んでいた。
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