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そんな状況は、市街から嫁いできたために知り合いが少ない私にとって非常に幸運だった。津波の襲来を教えにわざわざ玄関をたたいてくれるひともいたのだから。こういうところで普段の近所づきあいが効果を発揮するのかもしれないわね。
そして慌てつつも私は近所の人たちと高台へ向かった。
私の家は山の麓に建てられていて、近くの階段を上っていくと山の中腹に作られた公園があったから、自然とそちらの方向に足を進めっていったの。
公園へと続く階段には、上へ向かう大勢のひとたちがいて、迷わず私もその集団に加わった。
たとえ筋肉痛に襲われることになろうが、娘を抱いている以上、気にするわけにはいかなかった。胸に抱いた小さな命。絶対にそれを失ってなるものかと必死だった。
本当に、それが一番大事だった。
「津波が……来るんでしょうか」
誰かの声が聞こえたの。
私をはじめ数人は足を止め、本当に津波が来ているのか確認するために振り向いたわ。もちろんそれ港の方角よ。
だけど、そこには海がなかったの。
港から三百メートルほど突き出た桟橋のすべてが露わになって、見渡す限りの海底が露出していた。通常であれば桟橋の大半は海中にあり、僅かな上部だけ顔を出しているはずなのに、ね。とうてい自分の目を信じられるような状況じゃなかった。
津波の直前には激しい引き潮がある。
それは三陸海岸で暮らす私たちにとって当たり前の常識だった。私の夫も含め、前回の津波を経験した多くのひとたちが語っていたからね。私自身は津波の記憶はなかったけど、年上のひとたちから様々な話を聞いていたから。
そして、これだけ大きな引き潮であれば、やってくる津波もそれだけ大きなもだろうということも頭に浮かんだ。
もしかすると、私の家まで――。
だけど、そのときにすべきことは家の心配をすることではなかった。一刻でも早く、高台へ。それが津波が襲ってくるとき、私達に課せられた使命だから。できるだけ多くの命が助かるように、〝てんでんこ〟で対処すること。他人の命を気にせず、自分の命を最優先に考え、てんでに逃げていくこと。津波の被害を何度も受けてきた先人たちの教えがそれだったから。
私の……いや、私たちの頭にはそれがあった。間違いなく。
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