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息を切らしながらも何とか階段を上がりきり、高台の公園――正式名称は釜石運動公園――に到着したわ。いつもなら娘と一緒にのんびり街を眺めたり、ブランコに揺られたりする公園が今は、大勢のひとで溢れかえっていたの。
ひと足先に到着していたひとたちに迎えられ、私も彼らの話に加わった。そして、自然と海の方へ目を向けた。
そのときちょうど、港に造られた防潮堤を海水が乗り越えるところだったわ。
はじめはゆっくりと。
だけど次第に溢れ出る海水の量はどんどん増えていって、そのまま市内へと流れ込んできたの。堤が完全に水没し、海と陸との境界線が曖昧になっていった。
あとはもう、流されるだけ。
船も家も車も……そしてひとも、ね。
津波が到達した家から順番に電気が消えていくのがはっきり見えたわ。あの灯りの下にはいつもと変わらぬ家族の暖かい暮らしがあったはずなのに……。
ひとつ。
またひとつと灯りが消えていく。
そのときになって私はようやく、出勤していた夫のことに考えが及んだの。夫の職場は内陸側の工場と、海に近い工場と、二ヶ所あると聞いていた。今日の勤務がどちらなのか私は知らなかったけど、きっと無事に避難しているはずだ。私はそう確信していたの。これだけの津波を引き起こすなら、とても大きな地震があったはず。地震が来たら常に津波を連想しろ、夫は私に何度も言い聞かせてきたから。内陸で生まれ育った私に海の近くで暮らす心構えをたたき込もうとしていたのね。そんな夫だったから、たとえ勤務中でも真っ先に避難したに違いないと思ったわ。
そして、第一波から三十分ほど過ぎたときね。
ついに第二波がやってきたの。
第二派がくる少し前、再び海水が大きく引いていった。しかも、その状態のまま数分経っても津波はやってこなかった。子どもたちは非日常的な光景を目にし、露わになった海底に降りたいと言っていたけれど、それは分別のある大人たちによって止められた。
波が引いている以上、必ず第二波はやってくる。以前の津波を体験したひとの話では第二波が来るまでに十数分かかったと言っていたから、今思うと三十分というのは長い時間だったのかもしれないわね。
いずれにしろ、容赦なく波は再びやってきた。
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