《1章》

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大学時代恋人関係にあった二人は、私との婚約を破棄し、互いの交際を正式に認めてもらえるよう両親に頼み込んだ。しかし、二人の願いは聞き入れられず、打つ手を考える間もなく、夫は私との結婚式を迎えてしまった。 私にはきっと今、この女性を追い返す権利があるのだろう。不倫だとこの女性を訴えることも可能だろう。私は今その立場にある。 それでもそれが出来ないのは、私がどうしようもないほど夫を愛しているから。あの人に軽蔑されるような真似だけはしたくなかった。あの人の大切な人を傷つけるような真似は出来なかった。 だが、この女性が望む答えだけは出す事が出来ない。私は夫と生涯を共にすると誓った。この女性との関係は認めても、離婚だけは出来ない。 私がそう言いきると、女はそのまま泣き崩れた。 この人は私がこの話に素直に首を振ると思っていたのだろうか。そんな疑問が浮かぶ。 この人は私の今までを知らない。私があの人と結ばれる事をどれだけ待ちわびたか。どれだけ願ったか。夫がこの女性と出会うずっと前から、私はあの人だけを想い続けてきたのだ。 「愛されてないくせに」 恨ましげに私を睨み、女性がぽつりと呟いた。その一言に鼓動が跳ねる。 それから女性の本音が堰を切ったように溢れだす。 「あなた、一度もあの人に抱かれたことないんでしょ。それに、あなたが発情期の時はいつもあの人私の所にいるわ。夫婦なのに、番いにもなれないなんて同情する」 優越感に浸る彼女はきっと、夫に抱かれた事があるのだろう。そして、私の発情期の時、彼女の家にいるというのもおそらく事実だ。 零れそうになった涙を寸前のところで押しとどめたのは、きっと妻としてのプライドだろう。 「あなたさえいなければ…」 怒りに声を震わせながら女性は私を睨みつけ、その後鞄を引っ掴んで部屋を出て行った。私は女性のあまりの剣幕に圧倒されながら、ふいに濁った紅茶の水面に映る自分の顔を見て苦笑した。 「愛されていないことくらい、知ってます」 切なげな声がやけに大きく部屋に響いて消えて行く。ふいに耐えきれず零れた1滴が水面に波紋を呼び、そのまま何も見えなくなった。 →《2章》へ続く
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