6人が本棚に入れています
本棚に追加
プロローグ
コオオオオン、コオオオオンと乾いた鐘の音が続けざまにダルヤの街に響いた。どこかで犬が悲壮にむせび鳴き、街の空気は慌ただしさの向こうで急激に静かになっていく。
群青の闇がゆっくりと石造りの家々を侵食し、開け放たれていた家々の玄関のドアが次々に閉められていった。各戸のドアには、なんらかの魔除けの印が飾ってある。円形の石造彫刻に舌を出した翼の怪物が銀の光を煌めかせいたり、ラベンダーなど乾燥させたハーブの束を吊るしていたり。ドアに魔除けがついていない家はない。
淡いオレンジのガス灯が小さな音をたててついた時、明かりの陰になった所にゆらりと黒い霧が瘴気のように生じた。
「久しぶりだ……」
霧の中から低く笑いを含んだ声が届いた。その足が明かりの下に歩みで、黒いローブに身を包んだ背丈の高い姿が現れた。フードの下に顔を隠したまま、その者は辺りに視線をやった。
明かりの届かない闇の中で何か複数のものが蠢いている。ピチャピチャと水が滴るような音が聴こえ、フードの下の口許が汚らわしいとでも言うように歪んだ。
ゆっくりフードをとりさった下から現れた顔は、緩やかにウェーブがかった髪と涼しい目元をした見目麗しい青年のものだ。ただし瞳は紫だ。その異様な色に染まった瞳が鋭く横に動いた時、闇の中で蠢いていたモノがぴたりと動きを止め、急に静かになった。
一歩青年が足を踏み出すと、闇の中で動きを止めていたモノが怯えたように逃げていった。その蠢いていたモノの場所に歩み寄ると、青年はいっそう表情を歪めた。一匹の犬の死骸が打ち捨てられ、腹の部分が食い荒らされている。
「下等な……」
口許を袖で覆い、たち昇る死臭から身を守るようにしてそこから立ち去ると、青年は群青よりも沈んだ濃紺の空を見上げた。星はちらちらと瞬き、月は煌々と冴え渡っている。
「……食餌せねば……」
呟かれた言葉はひどく倦んだような響きを含み、闇のしじまの中に吸い込まれていく。ただ悼むような犬の鳴き声ばかりが辺りを包んでいた。
最初のコメントを投稿しよう!