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青年は更に顔を近づけてトムを凝視した。青年の黒い瞳がトムの青い瞳を見つめる。
薄暗い店内で瞳孔の開いたトムの瞳は光の加減で中心が赤く見えた。瞬きをするたびに文字通りネコの目のように忙しく瞳孔が収縮する。
「なるほど、ネコの目だ。おまえがあのシャムとはね」
青年は身体を起こしてトムの頭をクシャクシャと撫でた。
「シャムじゃなくて、トムだよ。でも驚かないの?」
トムが意外そうに尋ねると、青年はニヤリと笑った。
「ぼくも同じくらい”ありえねーヤツ”だからね。なんで人間になったの?」
青年の素朴な疑問はもっともだが、それについてはトムもよくわからない。
「わかんない。何か解決すればネコに戻ると思う」
「解決ねぇ」
そう言いながら青年は入口に向かって歩いて行く。そして、トムを店の中に入れたまま入口の「営業中」の札を裏返し、内鍵を掛けた。
そのまま黙ってトムの前を素通りすると、店の奥にある大きな鏡の前で立ち止まった。
青年は鏡の四隅に貼られたシールの上に人差し指と中指を乗せて口の中で何かをつぶやいては一つずつはがしていく。
トムはその様子を黙って不思議そうに見つめていた。
やがて青年が四つ目のシールをはがし終えると、鏡に映った彼の姿や店内の様子が消え、鏡面が水面のように波打った。
青年は振り返りトムに問いかける。
「あっちの国、ネコット国に解決すべき問題があるんだけど、おまえも来る?」
青年の瞳はトムが断るはずはないという確信に満ちていた。
指差した青年の手が鏡の中にめり込んで手首から先が見えなくなる。その周りの鏡面にゆっくりと波紋が広がった。
トムは好奇心に目を輝かせて青年に駆け寄る。
「行く! 桜井さんってその国の人なの?」
「あぁ。おまえを手招いてるような名前の国だろ?」
青年はにっこり笑ってトムの手を取った。
「それと、桜井ってこっちの名前だから。あっちの名前はトゥーシャ」
トゥーシャはトムの手を引いて鏡の中へ足を踏み入れる。続いてトムが楽しそうに駆け込み二人の姿は鏡の中へ消えた。
少しして波打つ鏡面が静けさを取り戻すと、鏡は元通り誰もいなくなった店内の姿を映し出した。
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