9人が本棚に入れています
本棚に追加
桶狭間の戦いの前から百姓が村を捨てて逃散(ちょうさん)する事態が相次いでいて領民には戦を支える余裕がないと思ったから、氏真は内政に力を注いだ。信濃から移ってきた者たちの新田開発を奨励し、領内の治水も進めたし、楽市楽座を行なって商工業の振興にも努めた。困窮した村には徳政令を出した。
永禄六年(一五六三)になると元康は三河一向一揆で家中を二分する戦いに巻き込まれて今川領をうかがう余裕がなくなり、その間に氏真の内政の努力が実を結んだかに見えた。領民は収穫が終わる頃に晴れ着を着て風流踊りを楽しむようになり、村同士が踊りを披露しあうようになった。その波は駿府にも及んだ。
「これは御屋形様の善政の賜物で民に余裕ができたという事でございますぞ」
側に仕えていた三浦右衛門がそう言って風流踊りを奨励し、氏真にも参加を勧めた。氏真も踊る領民たちの中心でほおかむりして自ら太鼓を叩いた。太鼓を叩きながら領民の生活の改善を確信し、満足感に浸ったものだった。このまま領民たちと風流な生活を楽しめれば本望だった。
最初のコメントを投稿しよう!