マロの新たなる旅立ち

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 永禄三年(一五六〇)五月十九日、父義元が桶狭間の戦いでまさかの戦死を遂げた後、今川家は大混乱に陥った。主だった武将や多くの兵を失って軍勢は崩壊し、長年の戦さの負担で疲弊していた所に多くの働き手を失って民の困窮は極まった。当主を失った家では跡目争いが始まり、さらには今川の力にうわべだけ従っていた国人たちの動向も怪しくなった。その上松平元康は岡崎城で自立し、織田と結んで逆心を示した。  跡を継いだ氏真は自分なりに今川家の立て直しに尽力したつもりだ。領内の不穏な動きが相次いで身動きが取れなかったので三河を元康から奪い返す事はできなかったが、反逆した国人たちを討ち滅ぼして駿河と遠江は何とか確保できた。永禄四年には幕府の御相伴衆にしてもらい、北条が上杉謙信の大軍に攻められた時は援軍を送って同盟関係を堅固にして、元康との戦いに専念できる体制を作った。
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