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終電間近の車内は、かなり混んでいた。
朝の通勤時間帯ほどではないが、隣の人と腕や肩が、どうしても触れあってしまう。
このくらいの混み方の方が、他人との距離感が微妙で、気疲れする。殺人的な朝の通勤ラッシュの方がお互いさまだから、まだ気が楽だ。
そして、朝と決定的に違うのは、空気中のアルコール濃度。
腐った柿みたいな匂いが、車内中に満ち満ちている。
金曜日ということもあって、飲んできた人が多いのだろう。
腹立たしいことだと、柳ヶ瀬遼(やながせ りょう)は思った
自分は仕事で遅くなったのに。
前に座っている中年男は、俯いてイビキをかいている。時折はっとしたように辺りを見渡すが、その顔はまっ赤だ。前のめりになってこっくりこっくりしている。
フケの浮いた頭がすぐそばまで迫って見える。
遼は、並んで吊革につかまっている人たちより、一歩後ろに下がっていた。
地下鉄の乗り換え駅に到着した。
降りる人はあまりいないのに、人がどっと乗りこんでくる。
一瞬だけ新鮮な空気が流れ込んできて、すぐに、アルコールの匂いに染まった。
臭いことは臭いけど、暖かい。
電車の揺れも心地よくなってきた。
なによりここしばらく、仕事が忙しかったために、ろくに眠れていなかった。
吊皮を確保できているので、不意の揺れに身構える必要もない。
遼は目を閉じ、電車の揺れに身を任せ……。
「痴漢! この手、痴漢の手です!」
後ろの女が金切り声で叫んで、右手を背後にねじ上げた。
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