第9章 貴子の暗躍

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「じゃあ、始めましょうか?」 「はい、やってみます」  硬い表情の妊婦が貴子の声に頷き返し、急にお腹を抱えて痛みを訴え始める。 「い、いたたたたっ! 痛いぃーっ!」  いきなりフロアに響き渡ったその声に、何も聞いていない人質は勿論、犯人達も一瞬動揺して顔を向けると、貴子の周囲の女性達はこぞって大声を張り上げた。 「ちょっと、あなた。大丈夫!?」 「お腹が大きいから臨月かもしれないと思ってだけど、やっぱりそうだったのね」 「大変! 産気付いちゃったわけ?」 「無理も無いわよ! こんな緊迫した状況だもの!」 「な、何とか、大丈夫だと……」 「全然大丈夫に見えないわ! 顔色が真っ青よ?」 「ちょっと犯人! さっさと救急車を呼んで、この妊婦さんを搬送して! 下手したらすぐ産まれるわ!!」  女性達を代表する様に貴子が声を張り上げて要求すると、犯人は負けじと怒鳴り返した。 「はぁ? ふざけるな!! そんな事出来るわけ無いだろう!」 「何ですって!? 何て非人道的なの!」 「言い争ってる場合じゃないです! 今聞いたら、この方経産婦さんですし!」  誰かの切迫した叫びで言い争いを中断された貴子は、慌てて問題の女性を振り返った。 「え? 初産じゃ無いんですか?」 「はい」  そして彼女が言葉少なく頷くと、周囲が益々難しい顔になる。 「そうなると、陣痛が始まってから産まれるまでの時間って、比較的早くなるわよね?」 「そうね。私の妹なんて、病院に連れて行ったら三十分で子供が産まれて、びっくりよ」 「ここで破水したら、大変……。洒落にならないわ」 「それ以前に、男の人って大量出血なんて見慣れてないから、それだけで気絶するって聞いた事があるし」 「胎児が出てくる時もなかなかインパクトありますけど、その後に胎盤がズルッと出てくるのって」 「いたたたっ! ……何だか間隔が短くなって、痛みが強くなってきたかも」  そしてお腹を抱えて座り込んでいる妊婦を囲んで、一斉に無言で非難がましい視線を向けてきた女性達にうんざりしたのか、犯人が苛つきながら妥協案を出した。 「分かった。救急車を呼んでやる。ただし警察がいる、通りの向こう側まで歩いていけ」  しかしその提案に、貴子が盛大に噛み付く。 「ちょっと! せめてそこの出入り口に横付けさせなさいよ! この状態だと、歩くのも辛いわよ?」
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