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「うるせぇ! 救急車に警官が乗ってて、一気に押し入られたらまずいだろうが!」
「全く、ケチくさいわね!」
「宇田川さん、もう良いですから!」
盛大に舌打ちした貴子を見かねて、周りの者が縛られた手で貴子のカーディガンを引っ張って宥めてきた為、貴子はそれ以上揉めるのは止めた。
「じゃあ台車を使うのは? この人を乗せて救急車の所まで運んで、帰りに食べ物と飲み物を運んでくるわ。それなら文句ないでしょ?」
「食べ物? 何を言ってるんだ、お前」
途端に訝しげな声になった犯人に(あら、結構演技派じゃない)と内心おかしくなりながらも、貴子は真顔で用意しておいた台詞を口にした。
「あなた達にもう何時間拘束されてると思ってるの。もう夕飯時なのよ? 水分と軽食位、補給させて欲しいわ」
「そんな事言って、一人だけ逃げるつもりじゃ無いだろうな?」
これもほぼ筋書き通りの台詞だった為、貴子は胸を張って啖呵を切る。
「あのね、私一応、世間様に顔が知られてるの。さっきの様に見ず知らずの行員さんが、私の事を知ってた程度にはね。恐らくテレビ中継されてる中で、自分だけ逃げ出したらどうなると思う? 社会的に抹殺されるわよ。誰が好き好んで、そんな事したいものですか」
「それは確かにな。じゃあお前にやって貰う」
そして犯人は、ネームプレートに支店長の肩書きがある初老の男性の所に行って立たせ、一番近い机に連れて行って、電話の受話器を取り上げつつ指示を出した。
「お前が警察に電話して、こちらの要求を伝えろ。妊婦を搬送する救急車一台を道路の向こうに。それと中にいる人数を伝えて、人数分の軽食と飲料だ。台車で受け取りに行かせると言え」
「はい」
真っ青になりつつも耳に受話器を当てて貰って、犯人の要求を伝える支店長を遠目に見ながら、貴子はこれからの事について考えを巡らせた。そんな時思考を妨げる声が、控え目にかけられる。
「宇田川さん……」
「大丈夫、落ち着いて。もう少しの辛抱だから。あと少し、痛みで歩けないふりをして下さいね」
「はい」
そうして妊婦の彼女を励ましてから、傍らの女性達に向き直る。
「取り敢えず警察に、皆さんの無事を伝えて、何かお腹に入れる物を確保してきます」
「お客様をお願いします」
「気を付けて下さい」
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