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壁にもたれながら、軽く片手を上げて笑顔を向けてきた相手に、貴子は本気で呆気に取られた。
「芳文? どうしてこんな所に居るわけ?」
その問いに芳文は苦笑いして壁から背中を離し、彼女に向かって歩いてくる。
「テレビで事件の中継を見たんだが、お前、身一つで解放されてただろ。当然銀行に放置してきたバッグの中に、財布も家の鍵も入れっぱなし。違うか?」
「……違わないわ」
「だから迎えに来てやったんだ。ありがたく思え」
「どうもありがとう」
(すっかり忘れてたわ。あの刑事からせしめたお金で帰れても、立ち往生しちゃうじゃないの)
笑みを深くして指摘してきた芳文に、貴子は全く反論できずにがっくりと肩を落とした。そんな二人の様子を見た立浪が、安心した様に話しかけてくる。
「宇田川さんの迎えが来ていると、加納局長から案内を頼まれてね。ちょっと不安だったけど、知人か恋人なんだね?」
それに貴子が何か口にする前に、芳文が愛想を振り撒きつつ答えた。
「そうなんです。加納さんとはちょっとした知り合いで。こういう所は普段縁がないもので、口を利いて貰いました。お手数おかけしました」
「これ位何でもありません。宇田川さんは今日は大変でしたし、ゆっくり休ませてあげて下さい。それでは失礼します」
「ありがとうございました」
立浪が何の疑念も持たない様子でその場を去ると、芳文は真顔になって貴子の手首を掴んで歩き出した。
「とっとと行くぞ」
「ちょっと待って。そっちはスタッフ用の通路で」
「大丈夫だ。一応パスを借りてる。急いで駐車場まで抜けるぞ」
「……何やってるのよ。大体おじさまとどういう知り合いなの?」
「詳しい話は後だ」
空いている方の手で、ジャケットのポケットからテレビ局のスタッフ用パスを取り出した芳文は、器用に片手だけでそれを首から下げた。そして呆れる貴子には構わず時折すれ違うスタッフや社員に愛想を振り撒きつつ進み、社員用通路や階段を駆使して殆ど人目に触れる事無く地下駐車場まで到達する。
目の前に見覚えのある白のマセラティ・クアトロポルテが現れた事で、貴子は幾分ホッとしたが、促されて急いでそれに乗り込んだ。そしてゆっくりと駐車場を出て公道にでた所で、進行方向からパトカーが数台向かって来るのが目に入る。
「ほら、頭を低くして隠れてろ」
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