発生

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今まで経験したことのない、とてつもない強い驚きで、一瞬、彼女は自分自身に何が起きたのかを理解出来なかった。 しかし真っ白い皮膚に、真っ赤な鮮血を散らばせた彼の顔が目に入った次の瞬間になって初めて、とてつもない恐怖が彼女を襲った。 それと同時に、彼女の喉から悲鳴が出かかったのだが、それは出てこなかった。 彼女が強い意思を持って出さなかったのではなく、自然と出てこなかったのだ。 余りにも強い恐怖が、彼女の生理的反射を狂わせていた。 出したくても出せない、出てこない悲鳴を、息と共に飲み込み、彼女の思考と動きは停止した。 その時、彼女は恐怖だけに支配されていた。 凄まじい恐怖が、怒涛となって彼女に襲い掛かり、あっと言う間に、彼女の心に満ちてしまったのだった。 やがて血液が、皮膚を這い、顔を伝って落ちていく奇妙な感覚が、徐々に彼女の正気を取り戻して行くと、漸く恋人の身を案じた。 彼を見た。 ただ目に写すのではなく、しっかりと見た。 そこで見た彼は、目を覚ます前の様に、仰向けに倒れていた。 口からは赤い泡が溢れ、呼吸に合わせて、口からの出入りを繰り返していた。 その口の中が、普段目にしない鮮やかな赤い色の液体で一杯だった。 それを見止めた彼女は、始めて素早い反応を見せ、彼の顔を横に向けた。 口に溢れた血液に拠って、呼吸が邪魔される事を防ぐ為の処置だった。 溜まっていた血液が口から溢れて、布団を染めて行った。 その赤色の拡がりに比例して、彼の呼吸が戻っていくのが解った。 ただ、楽になったとはいえ、その呼吸は大変に弱々しいものだった。 彼女は、飛び跳ねた血液が着いたままの手で、急いでバッグからスマートフォンを取り出すと、救急車を呼んだ。 必死で、焦る気持ちを抑えながら、彼女は何とか、訊ねられた事だけは伝えた。 それに掛かった時間は、実際に大した長さでは無かったが、彼女にはとても長く感じられ、こうしている間にも、やっと戻ってきた彼の呼吸が、再び弱くなっている様な気がしてならなかった。 救急車が到着するまでの数分間、彼女は何も出来ず、ただ彼が弱々しく、今にも止まりそうな呼吸をしているのを見詰めていた。 彼女の時間は停止していた。 何時まで待っても、時間は流れず、同じ映像が永遠に続いていた。 しかし彼女以外の時間は、平等に一秒一秒がきちんと流れていた。 やがて、遠くに救急車のサイレンが聞こえてきた。
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