*肆

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「…父は無事捕縛されましたか。これであの人の時代も終わりですね」 どうやら電話中であったらしい彼は決して大きくはない、しかし確かに芯を持った声でそれを告げた。その言葉に、今確かに引かんと引き金にかけていた指が動作を停止する。予想だにしなかった内容に浮かび上がった驚愕の表情を隠せずに、気配を消すことすら忘れその場に立ち竦んだ。 …涙くんの父が捕縛された?あの、蜉蝣組現当主である朱石勇夫が?それも己の倅、ひいては次期当主である涙くんの手によって? 隠れなければ、動かなければ、殺さなければ、そう思うのに、混濁した思考と反して身体は鉛のように重く微動だにせず、構えたままの銃すら下ろすことすら敵わず見開いたままの目は綴じることすらままならない。 そんな僕のことなど露知らず、深い溜息と共に通話を切った涙くんは、背後に立つ存在に気付いたのかこちらへ振り向き、そして相変わらず固まったままの僕の姿を視界に捉えた。次第に見開かれる瞳や驚きや戸惑いを隠せずにいるその表情からは、「どういうことだ」と問われているようで、思わず聞き返してしまいたい衝動に駆られた。 本当にこっちが聞き返したいところだ。一体全体、何がどうなっているのかと。 …正直、内部の者が上の者の命を狙うのは上が入れ替わる際によくある話だ。 寧ろ、この世界に数多ある極道やマフィアと呼ばれる組織は、ほぼそうやって世代交代しているのではなかろうか。僕や涙くんの家のような世襲制をとる組織は今ではかなり稀なのは、下が上を食うことがない代わりに兄弟間での争いが横行し、そのまま正当な後継者が消え組織ごと無くなるか、そもそも世襲制を辞めてしまうかのどちらかをとるからだ。 だが涙くんは直結の一人息子だ。現当主も涙くんに組を継がせると断言しているし、外部から潰される様なことがあっても内部、しかも涙くんから食い潰されるなんて。幾ら現当主である彼が碌でもない男だからといって、彼が当主の座に就いてからはもう結構な時も経過している。なんで、今更… ここまで一切話題に上がることのなかった、涙くんが継ぐことになっている蜉蝣組現当主、朱石勇夫。涙くんの実の父親で、彼こそが蜉蝣組の名を汚している張本人。ひいては、彼こそが僕が態々異国の地に赴いて来た原因だと言っても過言ではない。 そもそも蜉蝣組は涙くんただ一人のお陰でここ数年で急激に勢力が拡大している組織だ。彼は所謂お飾りで、未成年である涙くんが表立ってあまり行動できないのを彼を立てることによって動き易くしているのに過ぎない。 それを彼は自分の手柄と勘違いし、周囲に涙くんから与えられた権力を思うがまま振りかざしているトンデモ暴君だ。あまり声を大にしては言えないが北のあの国の独裁者を想像すれば分かり易いのではなかろうか。彼はなんとそれだけでは飽き足らず、金欲しさに非合法であるクスリの売買に手を染めている。勿論そんなぽっと出の、秩序も守れない傲慢な男がいれば潰そうとする者は後を絶たない訳だが、それらは全て涙くんのお陰で回避することが出来ていたのだ。 だから今回、僕自ら組を潰す妨げとなっている涙くんを捕縛、もしくは殺害の任務を果たしにきた。 …それが、涙くんが手ずから父親を?それも、まだ成人まで一年以上時間を持て余した今。 「銃を…下ろしていただけますか、九十雲」 緊張を孕んでいる硬くなった声色で告げられたその言葉に、硬直していた身体もようやっと動き出し銃を下ろしホルスターに仕舞う。素直に従った僕に安堵した表情を浮かべた涙くんに手招きされ、隣に座るよう促されたのに従い腰を下ろし、強張った口を開いた。 「朱石勇夫を…自分の父親を捕縛したってどういうこと?確かにあの男は涙くんが大きくした蜉蝣組の名を汚し、数多の恨みを買っている源。だからって、今急にどうして…」
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