言霊の記憶

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 生きているのだから。少なくとも、自分は。そして、あの男も。  分からないことがあれば、立ち止まればいい。  苦しくて、その場から足を踏み出せなくなったなら、手を伸ばせばいい。  伸ばせる手が、自分にはあるのだから。  この世は得体の知れないものばかりではあるけれど、得体の知れているものも勿論、あるのだ。  それは例えば、行平がこのビルで培ってきた関係や感情なのだと思う。  いつか、きっと後悔する。  黒衣を纏った男の声が行平の中で二重になる。呪殺屋と名乗る、二人の男。  --後悔、ねぇ。  繰り返した言葉は、味気なく舌の上で空回る。それで終わりだ。  後悔しない日々なんて、ない。  やり直せないことも確かにあるが、生き直すことは誰にでもできる。  死なない限りは。  だから、つまり、そう言うことなのだ。きっと。  最後まで掃除をし終えて、行平はふぅと一息ついた。外からはまばゆい光とともに、子どもたちの賑やかな声が響いていて。  自然と顔に浮かんだ笑みを消さないまま、行平は掃除道具を持って階段に足をかけた。  そして、ゆっくりとその一歩を踏み出した。  変わらない日常と、かけがえのない日々に向かって。     今日も依頼があると良いなと思いながら。
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