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しかしその場を宥めようとして美子が口にした台詞は、更なる事態の悪化を招いた。
「まあぁ!? 掛橋、どうしましょう!? 私ったら大切なお母様の形見の着物に、何て事をしてしまったのかしら!!」
「あの、ですが」
目に見えて狼狽える女性を美子は慌てて宥めようとしたが、それより先に掛橋の情け容赦ない指摘が入る。
「本当に、粗忽で無神経で傍若無人な奥方だと、世間様から後ろ指を指されかねません」
「そんな……。酷いわ、掛橋が冷たい」
「旦那様に報告したら十倍は言われますから、少しでも耐性を付けておいて下さい」
(何なの? この男の人、『奥様』って言ってる割には、結構物言いがきつくない?)
女主人である女性が涙ぐみ始めても、冷ややかな視線を送っている掛橋に美子は混乱しつつ、何とか事態の打開を図ろうと声をかけた。
「あ、あのですね? 本当にこんな着物は幾らでもありますので。普段着みたいな物ですし。そんなにお気になさらなくても宜しいですよ?」
しかしその申し出に、女性が些か哀れっぽく反論する。
「そう言われましても……、このままお嬢さんをお帰ししたら、見ず知らずのお嬢さんに何て失礼な事をしたと、私が主人に怒られてしまいます。是非とも弁償させて下さい」
それを聞いた美子は、若干顔を引き攣らせつつ、掛橋の顔色を窺った。
「その……、今のは無かった事にして、ご主人に黙っていると言う選択肢は」
「ございません」
「……みたいですね」
「お願いします。弁償させて頂けませんか?」
(何か、変な人と係わり合っちゃったわね)
謹厳実直に即答した掛橋の言葉に項垂れ、再度女性に懇願されてしまった美子は、完全に抵抗を諦めた。
「分かりました。それではそちらのお気が済む様にして下さい」
その途端に喜色を浮かべて、女性が美子の手を握って礼を述べる。
「ありがとう! それではわざわざ出向いて頂くのは申し訳ないので、行き付けのお店に声をかけて、そちらのご都合が良い時に担当の者がご自宅に採寸に伺う様に手配しますね?」
「そういう事ですので、誠に申し訳ございませんが、こちらにお名前とご住所と電話番号をお願いできますでしょうか? 私共の連絡先もお知らせしますので」
「はぁ……、分かりました」
(ちょっと変な人達だけど、こんな高そうな車に乗っているし、着ている物も立ち居振る舞いも洗練されているし、教えても支障は無いわよね?)
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