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掛橋が手渡してきた手帳に、美子がボールペンでサラサラと必要な事を書き記すと、相手も連絡先を書いたページを切り取って美子に手渡した。そして幾つかの短いやり取りの後、掛橋に促された女性がマイバッハの後部座席に乗り込んでから、笑顔で美子に向かって軽く頭を下げる。
「それでは藤宮さん、後ほど担当者から連絡させますから」
「はい。お気遣い頂きまして、ありがとうございます」
そして車が走り去るのを見送った美子は、溜め息を吐いてから手元の用紙を見下ろした。
「何か、嵐みたいな人達だったわね……。加積桜さん、か」
そして相手の名前を確認した時、先程から何となく感じていた違和感に漸く気が付く。
(あら? そう言えばあの人達、私の名前を書き記した物を見た時、「ふじみや」とか「ふじのみや」とか読まずに、最初から「とうのみや」って読んだわね。こちらから名乗る前に一度も間違えずに読まれたのって、これまでの人生で初めてじゃないかしら?)
普段であればその理由を深く考えたかもしれない美子だったが、その時何となく失調気味だった彼女は「変わっている人だから、感性も変わっているのかもね」とあっさり流してしまい、そのまま家路についたのだった。
同じ頃、走り去った車内では、桜が満足そうに運転席に向かって話しかけていた。
「ふふっ……、どうだった? 掛橋」
「取り敢えず、怪しまれなかったのでは無いでしょうか? 奥様の事を危険性の無い、世間ずれした深窓の奥方とでも認識して頂けたのではないかと」
取り敢えず無難な返答をした掛橋に、桜がくすくすと笑いながら満足そうに呟く。
「計画通りね。一緒に話を聞いたうちの人もあの子には興味を持ってるし、余計な男が居ないうちに、無理なく自然な形で事を進めていきましょう」
「藤宮様にとっては、とても不自然な形だと思われるのですが……」
そんな呟きを桜が気にする筈は無く、彼女は後部座席で年齢にはそぐわない、若々しくて楽しげな笑い声を上げた。
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