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妄想?日本独自の民主主義
桝添都知事辞任の陰で、富山市議会がお手盛りの給与増額を決議した。
明治の時代、日本の初めての衆議院選挙の時は、立候補するには納税額の最低基準があった。
勿論、選挙で投票するにも最低基準の納税額が必要だった。
それが、時代が下がるに連れて改正され、成人男子に選挙権を認める普通選挙になって、大東亜戦争終了迄続いたのだ。
戦後、CHQの指令で女性にも選挙権が認められ、現在は18歳以上に選挙権が認められた初めての選挙になる。
何故こんな歴史を書いたのかというと、初回の選挙から暫くは『井戸塀政治家』と言われる代議士が多かった。
代表として、『足尾鉱毒事件』の田中正造氏が居る。
地方の素封家の心ある人達が、生まれ故郷と日本への思いを込めて、代議士になり、財産を政治活動で使い切り、残ったのが井戸と塀だという事から生まれた言葉が『井戸塀政治家』なのだ。
そして、最後の『井戸塀政治家』と言われたのが、岸内閣の外務大臣の「藤山愛一郎」氏だ。
安保条約を改正した内閣だった。
藤山愛一郎氏は、『日米地位協定』の改正も視野に入れていて、財界から政界に転じた人だった。
『日米地位協定』とは、歴史で習った不平等条約と米軍に限って同じなのだ。
その中には、日本の空の管制権も含まれていて、日本の空は日本の物では無く、米軍の物なのだ。
俺が、様々な問題があっても岸を評価するのは、安保条約を廃棄出来る条約とし、日本地位協定を改正しようとしたからだ。
朝鮮戦争があり、東西冷戦があり、大東亜戦争の復讐を怖れたアメリカは、池田や佐藤(俗に言う吉田学校=裏で吉田茂も?)を使って岸を退陣させたのだが、経済発展を餌にしたとも言われている。
その後も、独自外交をした田中角栄をロッキード事件で退陣させ、民主党の鳩山&小沢を失脚させた。
『井戸塀政治家』が居なくなり、小沢が抹殺されてからの日本は、特に酷い政治屋ののさばる世の中になってしまった。
初期の納税額に制限のあった時代からの流れを見ると、選挙権が広がる度に、政治家の質が低下しているように見えるのは何故だろうか?
民主主義とは、本当に最良のシステムなのだろうか?
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