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北條陸奥守氏照墓、寺の西南にあたれる山の尾崎にあり。
高さ六尺ばかり。西の方に青霄(しょう)院殿透岳宗關大居士、天正十八庚寅(かのえとら)年七月十一日と掘り、裏に元禄二巳巳(己巳:つちのとみ)天七月二日北條陸奥守氏照公現住信庵隻海音造とあり。これは百年追善のときいとなみしものとみゆ。
氏照天正十八年に小田原城下田村安栖が宅にて自害のとき、その屍はいづかたへ葬りしにや。
由木永林寺の伝えによれば骨はかの寺に葬りしとあり。いわんや百年に至りて始て墓をいとなみしなれば、ここへ帰葬せしとおもわれず。
(新編武蔵国風土記稿多摩郡七巻より)
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