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「これを、壊して下さい」
差し出された懐中時計を、男は見つめた。所々擦り傷の付いた、色は剥げ落ちている懐中時計。
背面には、二〇一〇年六月二十日、A・Iと刻まれている。時計はまだ動いている。
コチ、コチと時を刻んでいる。生きている、と男は思った。擦り傷や色褪せで原色を留めてないが、それでもまだ生きている。
時を刻むことに、その身を捧げている。
「この時計、彼氏のなんですが、壊してくれますか」
「品物の背景には興味はない。俺は、依頼を受けたら無条件で、壊すだけだ」
男は、「破壊屋」と呼ばれていた。
どんな品物も、依頼者が満足するまで、壊して壊して、壊す。色んな手段を用いて、彼はそれを全うする。
時には原型を留めていないほど、木っ端微塵にする。例えその品物がまだ「生きて」いても、彼には関係ない。
その仕事を、その生命を、一撃で終わらせる。無情に、何の感情も込めずに、淡々と。
「お願いします」
依頼者の女性が、懐中時計を彼の方に押しやった。その目から、その態度から破壊だけを強く望んでいるのが男には伝わり、男は顎を引いた。
懐中時計を手に取る。赤い針が一秒一秒と、コチコチ刻んでいる。短針と長針が丁度「Ⅱ」の上で重なり合っていた。
動いている、生きている。懐中時計は生きて、その時を刻み、仕事に勤しんでいる。
男はその懐中時計を、動かないように万力で固定した。そして、ハンマーを手に取る。女性を見た。
はっきりと意志を込めて頷いたのを確認した男は、ハンマーを高く振り上げ、一気に下ろした。
手のひらに伝わる快感。重く、けれども軽くもある、崩壊した音。砕ける物体。
懐中時計は、死んだ。
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