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有無を言わせぬ力で、ぐいぐいとルイを引きずっていくカール。
「痛っ、カール! 離して! 離せよ!!」
「お前は毒されてるんだ! いいから来い!」
この男は誰だ。
声を荒らげるカールに激しく抵抗しながら、ざわつく心で思う。
少なくとも普段のカール・ツェルニーでないことは、火を見るよりも明らかであった。
―――カール、ごめんっ……!
心の中で謝りながら、カールの膝のあたりを思いっきり蹴る。
呻きながら床にひざを着いた隙をみて、ルイは部屋から飛び出した。
***
「おっと、気づいたかな」
ルイがハンナの宿から飛び出してくる様子を見て、道端に座っていた男が読んでいた新聞から顔を上げた。
目深にかぶったよれよれの帽子の下にある唇が、にぃっと横に広がる。
ばさりと新聞を放り汚れただるだるのロングコートと帽子を脱ぎ捨てると、そこには白いワイシャツとぴったりとした黒いパンツを身に着けた清潔な青年が現れた。
長い間座っていて固まった腰を軽く伸ばし、シンプルなつくりの腕時計を口元に持っていく。
「やあタケミツ。やはりおとなしく従わなかったみたいだよ。まあ予想通りだけどね」
『キヒヒッ! そーかそーか。こっちの準備は万端だよぉ』
スピーカーを通すとさらに耳につく甲高い笑い声に少々顔を顰めつつ、青年は満足そうに空を仰いだ。
日は傾き、徐々に空が藍色に染まっていく。
『なぁケージ、もう押していい? いーだろ?』
「ああ……」
綺麗に生えそろった尖り気味の歯が、唇の間からのぞいた。
「押せ、タケミツ」
『アイアイサー。キヒヒッ!』
カチッというかすかな音を最後に、青年は通信をきった。
小さなスピーカーを耳からはずし、ふぅっと息を吐く。
(やはり不快な声だ)
まあいい、と黒いエナメルの靴についたかすかな埃を払った。
すべてが完成してからでも、あいつの処理は遅くない。
「さて、騒がしくなる前に戻るとするかな」
穏やかな風が吹きぬけ木々の葉を揺らす音を楽しみながら、青年は軽やかな足取りでその場を去っていった。
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