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千切れた腕も一緒に消え去り、下品な笑い声だけが取り残されている。元々実体は無く、思念体か何かを飛ばしていただけだったのだろう。
「……クソッ」
胸糞悪い。脱力した様にベッドに尻を沈めると、天井を見上げて息を吐き出した。
思えばあの妖精とも長い付き合いだ。腐れ縁といっても過言ではない。黒鉄はペンダントを眼前に揺らし、妖精珠を親指で押さえた。そのまま力を籠めると、合金製のフレームがぎちりと軋む。
眠ってしまおう。こういう時は、何も考えずに眠るに限る。ベッドに横になり、胎児の様に身体を丸めると、疲労もあってか、すぐに睡魔が目蓋を下ろしにかかる。
「(あいつは、まだここにいるのか)」
脳裏に過るのは、子供の姿。何度も悪夢に見た、在りし日の妹の姿だ。
それは今から十年前のある日。黒鉄の父、母、そして妹はその日、この島にいた。
当時は妖精の存在が確認されたばかりで、研究者だった母は新しい職場となる学園の下見がてら、家族旅行も兼ねて一家全員で訪れたのだ。
二人はこっそりと、両親の目を盗んで森へ――"タイタニアの庭"へと入り込んだ。当時は見張りも警備員が数名巡回しているだけであり、その隙間を抜けることは、容易では無かったが不可能ではなかった。或いはそれすらもあの妖精の手の内だったのかもしれない。
危機感も無く、近所の公園に遊びに行く様な心持ちで、黒鉄は妹と二人で遊んだ。当時、黒鉄五歳、妹は四歳になったばかりだったのだから、至極真っ当な子供の行動だっただろう。妖精など絵本の中でしか知らず、危険性に関しての知識は皆無で、"何か不思議な存在"程度の認識しか無かった。
黒鉄はふと、妹が近くにいないことに気が付いた。何処かで逸れたのだろうかと思い、それまで通った道を引き返した。
楢の木に巻き付いたマングローブの表面から、七色の茸が腫瘍の様に生えている。真っ赤な果実を実らせる黄緑色の蔦は、根元にある巨大なヤシの実に寄生する様にして直立していた。
「空音!」
脇道にぽっかりと空いた獣道の先にある、見せかけの洞の壁の先。鮮やかな紫色の花畑が広がっていた。黒鉄は壁を"通り抜け"、その場所に辿り着いたのだ。
「おや、これは予想外」
妹――空音の横には長身の男が佇んでいた。針金で出来ているかの様に細長い両腕両脚。シルクハットに丈の長いブラックスーツ。顔の無い、男。
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