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「お前は悪くない」と、両親は言ってくれた。その後、母が仕事を辞めたのも、黒鉄を妖精から出来るだけ遠ざけて、この事を思い出さない様にするためだったのだろう。住み慣れた家も出て父方の実家に帰って、両親は妹の痕跡を消すのに躍起になっていた。
妖精とは災害だ。ちっぽけな人間に打つ手は無く、だから諦めるしかない。それが母の専門家として得た教訓であり、母親としての苦渋の決断だった。
黒鉄は諦められなかった。諦めるわけにはいかなかった。言葉通り待ってくれる保証は無く、既に妹がこの世にいないとしても、逃げたくはなかった。
タイタニア学園のことを知ったのは、中学二年の頃だった。両親――特に母親には内緒で、受験のための勉強を始めた。こっそり回収しておいた母の持っていた論文集を読み漁り、近所にあった工房に通って、独学で妖精珠の加工まで行なった。
元々素質があったのだろう。特に術に関しては非常に上達が早く、短い言葉に複雑な命令を含ませる"圧縮言語"の技術を一月もせずに取得した。恐るべき速度で技術を吸収し、入学水準を上回る術師へと成長するのに、そこまで時間はかからなかった。
「何を考えているの!」
母親が反対したのは当然だ。我が子を失った母の心境が如何なるものか、黒鉄には計り知れない。ただ、あの日の啜り泣きとその後の赤くなった両目を思い出せば、その悲しみの重さが、そして今の怒りがよく理解出来る。
「俺は、もう決めたんだ」
「だからって、何で。あの子のことは――」
「ごめん」
「ッ……勝手にしなさい!」
母が部屋を飛び出すのを、父は背中で見送った。その目は黒鉄のそれをしっかりと見つめている。覚悟を問う、男の瞳だ。
「本気なんだな?」
「――ああ」
「そうか」
交わされた言葉はそれだけだった。
「母さんはこっちで何とかしておく」と父は言った。一人居間に取り残された黒鉄は、胸の辺りでペンダントを握り締める。
旅立ちの日。母は部屋に籠ったままだったが、餞別として幾何かの現金と安全祈願のお守りをテーブルの上に置いていた。父は困った様な笑顔を浮かべるだけで、何も言わずに近隣の駅まで車を出してくれた。
「偶には手紙を寄こしなさい。母さんも、喜んでくれる」
「……行ってくるよ」
新幹線のドアが閉まる。景色が線へと変わる頃には、日は暮れ始めていた。
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