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喉が渇く。目を覚ました黒鉄は起き上がり、台所の蛇口を軽くひねる。両手を皿の様にして流水を受け止めると、口を窄ませて溜まるそばから身体へと取り込んでいく。喉を鳴らし、十分に胃へと下ろすと、蛇口を閉めてベッドへと戻った。
窓の外は薄明かりが照らし、白んだ空には薄くなった星々が見えるだけだ。
「五時、か」
困った。中途半端に目が覚めたお蔭で、まるで眠れる気がしない。
黒鉄はスマホと僅かな小銭をポケットに捻じ込み、部屋着のままで外へ出ると、海岸沿いを目指して歩いた。散歩でもして体力を使えば、どうにか眠れるかと思ったからだ。
途中の自動販売機でサイダーを買うと、道路沿いに浜辺を目指した。昼間には補給物資の運搬車両で賑わうのだが、流石にこの時間では一台も見られない。道路の真ん中の白い線をなぞり、ぼんやりと上を見上げて歩く。口に含んだサイダーの炭酸と甘味が、ゆっくりと身体に染みこんでいく。
「(この時間は、流石に冷えるな)」
上着の一つも羽織ってくるべきだった。紺色のジャージの前を首まで閉めて、白い息を膨らませる様にして吐き出す。襟首から蒸気の様に吹き出し、寒気に曝されて結露すると顔の下部分を湿らせる。
コンクリート製の階段を下りると、目の前には浜辺と、その奥に海が広がっていた。砂を靴裏で磨り潰す様にして感触を楽しむ。潮騒は暗闇の中で囁き、黒鉄を取り囲んだ。
黒鉄はペンダントを軽く弾き、表面で六芒星を描く。暗い緑色に輝くと、足元に同じ色のサークルが浮かんだ。
「広がれ」
サークルの外側から生え広がる、植物の根に似た形の無数の線。それが捉えたのは、多数の"サイレン"と呼ばれる妖精の姿だ。音を媒体とした催眠能力で動物を海中に引き込んで、溺死体を住処に繁殖する。
「(妙だな)」
サイレンの催眠能力は、陸上ではさして強いものではない。主に長期間の航海で不安定になった人間を狙うのもそのためだ。そして彼らは余程のことが無ければ集団で狩りを行なうことは無い。縄張り意識が強く、死体一つにつき多くても二個体しか住み着かないからだ。
誰かがけしかけたとしか思えない。今は結界を張って防いでいるが、人ひとりを操るには十分な数が、波打ち際に群れを成している。
「(少し大人しくしてもらおう)――塗り潰し、捉え、捕らえろ」
光の根が地面から立ち上がる。 巨大な"爪"が、天を突いた。
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