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「来たか」
黒鉄は落ち着いていた。斥候に出した疑似妖精が狩られた時点で、向こうが何らかのアクションを示すことは明白だった。回復を急いだのも、これだけの箱庭を構成出来る術師に対抗するためだ。とはいえ、これだけ早いのは予想外だったが。
「(おそらく、廊下全域が奴の狩場だ。対処するためには――)」
何の用意も無しに踏み込んだが最後、水の怪物の餌食になるだけだ。わざわざ地雷原に突っ込むことは無い。この薬学室で、これを切り抜ける準備を整える。
まず壁に根を張り、部屋自体を箱庭へと変える。これで少しは時間を稼げるだろう。
「(水の性質を樹木の性質へ変換、吸収。箱庭を構築)――吸い上げ、育て」
天井、床、側壁全てに根が張り巡らされ、蒼褪めた霧が徐々に吸い込まれていく。と同時に青々とした硝子細工の様な葉が作られて、自ら淡い光を発していた。
黒鉄はその一つをとると、ペンダントの妖精珠に押し付ける。すると、体積を無視して硝子の葉は珠に溶け込み、吸い込まれる様に消える。
相手が水の性質を有していたのは、彼にとっては幸運だった。主に樹木の力を扱う彼にとって、水の性質は力を増強する糧として使い易い。吸収した力で回復を図ると、再び箱庭に手を加え始めた。
「(攻めなきゃ、勝てない)」
今回の目的は、相手のタグを奪うことだ。生き残るだけならば部屋の周りに罠や結界を張り巡らせて閉じ籠るだけなのだが、そうはいかない。タグ番号を確認し、それを奪うまでの段取りを組んで実行しなければならない。
術はそのための、最も有力な手段の一つだ。周囲に浮かぶ力の残滓に手を加え、箱庭を変質させていく。そうして箱庭の一ヶ所に力を偏らせると、物質化したそれを掴んで持ち上げた。
凝縮された光。黒鉄はこれを"槍"と呼んでいる。爪よりも攻撃能力を増した、犯罪者対処用の武装術だ。
残念ながら、力の総量では向こうが遥かに上だ。その箱庭の中でも戦闘を持続するため、汎用性に優れる爪ではなく、強度に優れた槍を用いるのだ。
遠隔で教室の戸を開ける。押し寄せる霧の津波を、箱庭の根が取り込んで力の糧へと変えていく。十分な力を槍の形に固めると、一度素振りをして使い心地を確かめる。切っ先が作業台を掠めると、大きな破片が焼き切れて床へ落ちた。
「っし」
霧の濃度が下がったのを見計らい、廊下へと足を踏み入れる。
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