02 サクラサク

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 黒鉄は起き上がって上着を羽織ると、売店を目指して保健室を出た。配給される、所謂病院食では育ち盛りの彼には全く足りず、腹の虫を抑えるのに先から気を使いっぱなしだったのだ。  売店に行けば菓子パンくらいはあるだろう。財布の中身を確認しながら廊下を歩くと、薬学室の前を通りすがった。  あの戦闘があったにも関わらず、校舎にはその痕跡一つ残されていない。壁を削った槍の傷跡も、超水圧による床のへこみも、まるで何も無かったかの様に綺麗さっぱり無くなっていた。  ただ、地下へと続く階段には立ち入り禁止のロープが張られていたので、まだ修復は難航しているのだろう。近くを通った時には、まだ潮の香りがしていた。 「開いている?」  薬学室の扉は半分だけ開いていた。中を覗いてみるが、フラスコや空になった小瓶が作業台に置かれているだけだ。  誰もいない。その他は日常のままに、人だけが空間から欠落した様だ。  嫌な予感がした。この状況に、黒鉄は心当たりがあった。 「泡月先輩!」  彼女は案外すぐに見つかった。壁に寄りかかって左肩をずりずりと引き摺りながら、昇降口を目指して歩いていた。目蓋を固く結び、生ける屍の様に歩を進める。 「おいアンタ、何やってんだ」  おかしいと思った。彼女は"ミス"だと言っていたが、同じミスを二日続けてするだろうか。薬の調合を行なう時に部屋の鍵を閉める。それだけのことなのにだ。 「泡月先輩、アンタ、何をしようと――」  進行方向を塞ぎ、肩を掴んで立ち止まらせる。すると彼女は両腕を黒鉄の腰に回し、緩く体重を預けた。  柔らかな感触。調合で使っていたであろう生薬と爽やかなコロンの混ざった臭い。微かに残ったシトラスの香りが鼻腔を這った。 「ん、むぅ」  健やかな寝息を立てる彼女に辟易しながら、どうしたものかとこめかみを押さえる。取りあえず意識を覚醒させようと、常備しておいた気付け薬の小瓶を制服のポケットから取り出して蓋を開けた。  濃縮させたブランデーの臭いが鼻の奥を刺すと、泡月は軽く咳き込んで目蓋を上げる。生まれて初めて風景を目にした赤子の様に、きょろきょろと視線を漂わせて、黒鉄の顔を見止めると驚いて後ろに飛び退いた。 「え、何で」 「何ではこっちの台詞だ」  そう言われると泡月はばつの悪そうな顔をした。何かを隠そうとしている様な、そんな表情だった。
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