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魚眼レンズを通して見た様な、球形に歪んだ木々の景色。間を飛び交う薄い黒色の球体は、様々な魑魅魍魎の元となったとされる"木霊"の一種だ。
黒鉄はペンダントを首から外し、手首に紐を巻き付けて妖精珠を握る。裏拳で木霊を払いながら、前を往く泡月を追いかける。
泡月は妙に慣れた足取りで森を進んでいる。常に身体の周りに膜状の結界を展開しているのか、木霊は触れた瞬間に、水に溶ける様にかき消えた。ぬるりと黒く濃縮されたタール状の液体が服の上を伝って地面に落ちると、染み込んだ地面から新たな芽が束となって顔を出した。
溢れんばかりの恵みの領域だ。この箱庭は、肥沃な大地と潤沢な恵みに満ちている。濃縮された毒々しいまでの生気は、黒鉄の張る箱庭の僅かな継ぎ目からじりじりとその精神を侵していく。吐き出す息は蓄え切れずに溢れた生気に淀み、びりびりとした痛みを喉と口内に与え続けている。
「大丈夫?」
息のかかる距離に泡月の顔があった。その表情を見るに、自分は随分と酷い顔をしているのだろう。指先の痺れと背中の大量の汗が、自らの身体が思った以上に深刻な状態であることを物語っていた。
「――じゃなさそうね。休憩にしましょうか」
「いや、俺は」
肩を押し止められる。思った以上に強い力で押さえられ、黒鉄は膝をがくんと落とした。
「ああ、ほら」
違う。彼女は力を込めてなどいない。一刻もしないうちに、黒鉄の身体は弱り始めていた。
「(――情けねぇ)」
地面に手をついて立ち上がろうとするが、肩に力が入らない。関節も、油の切れたゼンマイ仕掛けの様に上手く動かせない。まるで自分の身体が自らの意識から切り離された様に、重力に従って地面に沈んでいく。
「――と、しっか――」
「(耳、聞こえね)」
じくり、と、身体が解けていく。
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