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魂と呼べるものが、肉体の内側にあることを自覚はすれど、それを形として実感することは無い。少なくとも生きている限りは。
これが死者の感覚であることを、黒鉄の精神は針の様な痛みと共に実感していた。実体すら定かではない、空気の一部の様な、液体の様な、篝火の末端の様な、そんな生者の感じ得るべきでないものを確かに感じていた。
黒鉄には元々、それに近しい感覚が備わっていた。それがあの紳士服の外道による影響か、生まれつきのものかは定かではない。
妖精による現象を、その目は強く捉えることが出来た。風のそよぎ、木の葉のさざめき、魂の動きすらも妖精の手中であり、彼はそれを精神の芯で感じることが出来た。天に昇る死者の群れも、地面を這う亡者の嘆きすらも。人はそれを、"霊感"や"素質"と呼ぶ。
おぎゃあ、おぎゃあ。
聞こえる。それは亡者の、子供の。
おぎゃあ。おぎゃあ。
聞こえる。それは神霊の、心霊の。
おぎゃあ。
化物の。
額の冷たさが、肉体と精神の境を正常なものにした。静かな水底の領域に、彼は横たわっていた。
身体を起こす。痺れのとれた指先は、地面をしっかりと掴んでその身を支えた。見上げると、液状の天蓋に薄い白色の太陽が輝きを放っている。
「箱庭……」
あまりにも精巧な、見覚えのある箱庭だ。その主は遠くの泉の真ん中に立ってこれを築き、維持し続けている。
「思ったより早い回復ね」
「泡月先輩」
少し呆れた様な、しかし優しい声。艶めかしく揺らぐスカートの裾を指で押さえて、足元の水面を爪先で弾く。距離も法則も何もかも、彼女の思いのままだ。ここは彼女の世界なのだから。
何時の間にか黒鉄は水面の上に引き寄せられていた。頬にあてられた掌は温かく、命すらも委ねてしまいそうになる。それを感じて黒鉄は身体を後ろに引いた。苦薬を食み、身体の制御を取り戻す。
「――からかうのは止してくれ」
「うん、合格」
「抜き打ちにしては厳しくないか」
「あら、妖精には待ったも難易度調整も無いのよ? ――私が妖精の擬態だったり、ね」
怪しい笑みを浮かべて唇を指で撫でる。なるほど、今すぐにでも彼女は自分の身体中を侵食し、壊すも殺すも自在だ。そこに嘘は無い。事実、自分は今まさに、彼女に命と心を握られているのだ。
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