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彼女を風呂に押し込んでから、私は部屋の窓を全開にして換気扇を回した。部屋の中に充満した鉄の臭いを、一刻も早く追い出したかった。マルボロを一服付いて、落ち着こうとした。何があったんだろう? 事故か? 犯罪か? 面倒ごとに巻き込まれるのは真っ平ごめんだが、彼女をこのまま放逐するわけにはいかない。煙が一直線に換気扇に流れ込んで、消えていった。シャワーの流れる音と換気扇が回る音、外の道を往く車の騒音がまざって、かえって部屋の静寂を際立たせた。瞬間、私は嫌な想像をした・・・、まさか、彼女は人を刺した?
彼女が風呂から出てくると、私はじっと彼女を見つめた。
「飲み物いる? 緑茶しかないけど。」
彼女は頷いた。相変わらずロボットのようなしぐさだ。まさか、彼女は人を害したのではあるまいか? その懸念は、忍び寄るトカゲのように私の思考にまとわり付いた。彼女にお茶を渡すと、いつものようにチロチロと飲んだ。ますますトカゲだ。
「何があったの? 血まみれというのは、ちょっと尋常じゃないよね。」
私はできる限り冷静に聞いてみたが、彼女がこの異常事態をわかりやすく説明してくれるとはどうも思えず、少しげんなりした。
「シゴト デ チョット」
とだけ、彼女は答えた。
「チョットって・・・どういうバイトしてるの? っていうか、バイトなんかして、病気は大丈夫なのかい?」
二重・三重の問題が見えながら、私は一つづつ解き明かしていくしかないと思った。
「ま、まず、どんなシゴトをしてそうなったの?」
彼女は答えなかった。何分待っても、彼女は黙って私の顔を無表情に見つめるだけであった。その漆黒の瞳。凍った鋼のような目。業を煮やした私であったが、高圧的にならないように努めた。
「まあ、シゴトはいいとして・・・怪我はないのかい?」
とりあえず、彼女が無傷であれば、私の懸念もいくらか晴れるであろうと思われた。彼女はナイ ダイジョウブとだけ答えて、お茶の入ったコップを置き、自分の手をさすった。彼女の手を取ると、血の赤がうっすらと皮膚に残っていた。血液独特の臭いは、もうあまり感じられなかった。
「と、とりあえず君は大丈夫なんだね?」
彼女は、ゆっくりと頷いて私の目を見た後に、淡く微笑んだ。彼女がたまに見せる笑顔。鬱蒼と茂った針葉樹の隙間から挿す木漏れ日のような・・・私は、彼女のその微笑に、不覚にも安堵してしまった。
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